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お知らせ
24.1.6 今年の江戸文化歴史検定の「今年のお題」は『徳川将軍15代』となりました。 このお題に関係する記事を「徳川将軍15代」というカテゴリーで書いていきます。 江戸文化歴史検定を受験しようと考えている人のお役にたてば幸いです。 23.11.26 毎日文化センターさんの「気ままに江戸探訪~スカイツリーの見える下町で江戸を探す」 が開講しました。 23.5.28 毎日文化センターさんの「お江ゆかりの地を行く~気ままに江戸探訪」 が開講しました。 23.5.17 『江戸文化歴史検定協会の公式ブログ「大江戸見聞録」に「江戸三十三観音めぐり」の第4回「回向院」を掲載しました。 23.4.5 『江戸文化歴史検定協会の公式ブログ「大江戸見聞録」に「江戸三十三観音めぐり」の第3回「大観音寺」を掲載しました。 22.9.23 『WEBサライ』の特集「桜田門外の変」の取材に協力しました。 『WEBサライ』をご覧ください。 21.6.4 日経BP社が運営している日経BPネットの[SECOND STAGE ]の「大人のブログ探訪」というコーナーで紹介されました。 ☆こちらから見られます⇒大人のブログ探訪 リンク集 季節の花 300 江戸・東京ときどきロンドン 回天の魁士清河八郎 カテゴリ
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2012年 05月 25日
今日は、伊賀八幡宮についてご案内します。
伊賀八幡宮は、松平四代・親忠が松平家の氏神として三重県の伊賀から迎え、武運長久・子孫繁栄を祈願するための八幡宮を祀ったものです。伊賀にちなんで伊賀八幡宮と名付けるともに、鎮座した土地の名も伊賀と変えました。 この伊賀八幡宮も重要文化財が多くあり、本殿・幣殿・拝殿・透塀・御供所・随身門・石橋などが国の重要文化財に指定されています。 本殿は、慶長16年(1611)徳川家康によって造営されました。権現造りの本殿は入母屋造が普通ですが、伊賀八幡宮は流造りになっている珍しい建物です。 幣殿、拝殿は、寛永13年(1636)家光によって本殿に増設して造営されました。 御供所(ごくしょ)御供所は、神様のお供物を調整し供した所だそうで、「ごくしょ」と読むそうです。 社殿以外の建造物で古いものが残っているのは伊賀八幡宮を含め数社だけだそうです。 随神門神社を守護する随神様が門の両側に配置されています。おります。 随神様が安置する随神門は愛知県では伊賀八幡宮だけだそうです。 また門の表と裏両方の左右に天邪鬼が門の屋根を支えています。 神橋石造りの反り橋です。 橋の作り方に木造建築の手法が取り入れられています。 重要文化財となっている石造りの橋は、これと日吉大社のものだけだそうです。 石鳥居明神鳥居で、神橋の南側にあります。 鳥居をくぐると、神橋があります。そして、その奥に随身門があります。 しかし、神橋を渡ることはできません。 2012年 05月 23日
大樹寺でもっとの見たいと思っていたものは、徳川将軍家の位牌です。
今日は、このお話です。 松平家徳川家の位牌は、位牌堂にあります。 位牌堂は、本堂から入るので、外観がどうなっているのかわかりませんでしたが、大樹寺のHPによると右のような建物です。位牌堂の中に入ると、正面に家康の位牌と木造が安置されています。 家康は「遺体は駿河久能山に葬る事、葬礼は江戸増上寺で行うこと、位牌は三河大樹寺に立てること、一周忌が過ぎたら下野日光山に小堂を建てて勧請せよこれにて関八州の鎮守とせよ」と遺言と言われています。 「家康の位牌は。遺言通り大樹寺に立てられたと思われるが。安政の火災で記録が焼失しているため定かではありませんが、おそらく一周忌には位牌は調整されていたものと思われます。」というのが大樹寺の説明です。 また、現存の位牌は当時のものではなく、家康の13周忌にあたる寛永5年(1628)年尾張藩主義直が調進したものだそうです。 家康の木造は、正保4年左京法橋康以の作で、寄木造、玉眼、彩色、像高47cm、現在墓地になっているところにあった御霊屋に安置されていたものです。 戦前の国定教科書に載っていた家康の写真はこの木造だそうです。 位牌堂の右手に松平7代の御位牌、左手に将軍家の御位牌が並んでいます。松平家の御位牌は、寛永5年(1628)に 徳川義直が寄進したもので、総高はすべて同じです。 堂内に、御位牌がずらっーと並べられているのは非常に壮観です。 右写真が、松平家の御位牌です。 左下が、将軍家のお位牌です。 左側には将軍家の位牌が並んでいます。 この大樹寺の位牌の高さは、将軍の身長に合わせて作られていると言われています。 歴代将軍の法名と位牌の高さを列記すると次のようです。 これを見ると、5代綱吉の位牌は124センチであるのが、異常に低いと思います。 7代家継は、8歳で死んでいるので、135センチというは当然だと思いますが、綱吉は家継よりも低くなっています。 見た目にも、明らかに、綱吉の位牌は他の位牌と比較して低く見えました。 位牌の高さが、身長に合わせたものであるという説に従えば、綱吉自身の身長が低くかったということになります。 初代家康 前大相国一品徳蓮社崇誉道和大居士 位牌の高さ 159センチ 2代秀忠 台徳院殿一品大相国公 位牌の高さ 160センチ 3代家光 大猷院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 157センチ 4代家綱 厳有院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 158センチ 5代綱吉 常憲院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 124センチ 6代家宣 文昭院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 156センチ 7代家継 有章院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 135センチ 8代吉宗 有徳院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 155.5センチ 9代家重 惇信院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 151.4センチ 10代家治 浚明院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 153.5ンチ 11代家斉 文恭院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 156.6センチ 12代家慶 慎徳院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 153.5センチ 13代家定 温恭院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 149センチ 14代家茂 昭徳院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 151.6センチ 位牌堂での撮影は禁止されているため、残念ながら写真が撮れませんでした。 今回使用した写真は、大樹寺様のご了解を得て使用しているものです。 2012年 05月 21日
今日も、岡崎散歩の続きで大樹寺について書いていきます。
今日は、多宝塔と松平八代・家康公墓地について紹介します。 多宝塔 多宝塔は境内の西南にあります。この多宝塔は大樹寺最古の建物です。 天文4年(1535)に松平清康が建立したものです。 二層円形の二重の塔で建築様式は室町末期の様式を示しています。 創建当時の屋根はこけら葺きでしたが現在桧皮葺きです。 東海地方で最も美しい多宝塔と言われているそうですが、非常に美しい姿に感激しました。 国の重要文化財となっています。 なお、多宝塔は法華経信仰によるもので、多宝如来が安置されているそうです。 松平八代・家康公墓地 境内の西に墓地がありますが、その奥にあります。元和元年(1615)に徳川家康は先祖松平八代廟所を寺内に建立しました。 なお、家康が建立したというのが大樹寺の説明ですが、松平4代親忠が、大樹寺創建の際、先祖三代の墓を移したのが最初と説明したものもあります。 元和3年(1617)家康の一周忌にあたり、2代将軍秀忠が先祖松平八代の廟所を修復再建しました。 墓の様式は、代によって異なっています。初代親氏、2代 泰親、 3代信光は宝篋印塔です。 4代親忠、5代長親、6代信忠、7代清康は、五輪塔 8代広忠は無縫塔です。 墓地の一番西に家康の墓(右写真)がありますが、これは昭和44年には岡崎市民が家康の徳を顕彰して遺品を納めて墓と碑を建立したものだそうです。
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伊賀八幡宮は、松平四代・親忠が松平家の氏神として三重県の伊賀から迎え、武運長久・子孫繁栄を祈願するための八幡宮を祀ったものです。
本殿は、慶長16年(1611)徳川家康によって造営されました。
御供所(ごくしょ)
随神門
神橋
石鳥居
位牌堂は、本堂から入るので、外観がどうなっているのかわかりませんでしたが、大樹寺のHPによると右のような建物です。
「家康の位牌は。遺言通り大樹寺に立てられたと思われるが。安政の火災で記録が焼失しているため定かではありませんが、おそらく一周忌には位牌は調整されていたものと思われます。」というのが大樹寺の説明です。
位牌堂の右手に松平7代の御位牌、左手に将軍家の御位牌が並んでいます。
左側には将軍家の位牌が並んでいます。
多宝塔は境内の西南にあります。
境内の西に墓地がありますが、その奥にあります。
墓の様式は、代によって異なっています。