市塵(しじん)とは、家宣・家継2代の将軍に仕えた後で、将軍吉宗の代になると、白石が寄合に降格され、白石が進言した施策がことごとく覆された時に、家宣に仕えるまで、深川の市塵の中でくらしていた時代にかえろうと考えて、自分を納得させた場面にでてくる言葉である。
江戸時代を通じて、政治を大きく係った儒者は新井白石だけであるが、「白石は、聖より俗に、観念より事実に、理屈より実証に惹かれる性格である」と書かれており、新井白石が、儒者に留まらず家宣の政治顧問となって活躍した背景がよくわかる。
新井白石の業績は、たくさんあるが、この本のなかでも、シドッチの尋問、武家諸法度の改正、朝鮮通信使の接遇改正、海舶互市新令の発布などの経緯が取り上げられている。
特に、シドッチの尋問と朝鮮通信使の接遇改正の対応が対照的に描かれていておもしろい。
新井白石は、「鬼」と言われて怖れられたようである。朝鮮通信使接遇改正での対応は、まさに「鬼」といわれた白石の面目躍如の対応で、朝鮮通信使正使の抗議や同じ木下順庵門下の雨森芳州からの抗議に一歩も引かない厳しい交渉姿勢が描かれている。
一方、シドッチに対しては温かな対応をして、シドッチと心を通わせた姿が描かれている。
全体として新井白石の業績を詳細に描いていて、大変おもしろく読んだ。