江戸は、水道が整備されていましたので、右の写真のような井戸で水をくみ上げていましたが、夏には冷えた水を売る商売がありました。それが「冷や水売り」です。
現代では、ミネラルウォーターなどを買って水分補給しますが、江戸時代も同じであったということになります。
「冷や水売り」は、5月(もちろん旧暦です)になると商売を始めました。「東都歳時記」の5月の項には「この月より 冷や水、心太(ところてん)、白玉餅 売りありく」と書いてあります。
なお、「東都歳時記」とは、江戸後期の天保9年(1838)に刊行された、絵入りで年中行事を記るした本です。
「冷や水売り」がどんな商売かについて、江戸時代の百科事典である「守貞漫稿」が次のように説明しています。
「夏月、清冷の泉を汲み、白糖と寒晒粉(かんざらしこ)の団(団子)とを加へ、一椀4文に売る。求めに応じて8文・12文にも売るは、糖を多く加ふなり。売り詞、“ひやつこい ひやつこい”と云ふ」
冷や水は一椀4文で売られていたようです。1文はがどのくらいかについてはいろいろな説がありますが、25円とする説が計算しやすいと思いますので、1文25円とすると、4文は100円ということになります。
現代でも、ミネラルウォーターが100円程度ですので、現代と同じくらいの値段だったのですね。
でも、砂糖を多くしようとすると200円や300円分を支払わなければなりません。
また、冷水に入れる白玉についても、「守貞謾稿」は、 「白玉は、寒晒粉(白玉粉)を水をもってこれを練り、これを丸めて湯烹(ゆに)にしたるをいふ。白糖をかけてこれを食す。あるひは冷水にこれを加ふ。また汁粉にもこれを加ふといへども、路上売りは冷水に用ふるを専らとして、夏月にこれを売る」と書いています。
白玉もほとんど夏に売られていたようです。
冷や水を入れる容器は、現代であれば、コップですが、江戸時代の「冷や水売り」は、真鍮や錫のお椀を使ったといいます。真鍮や錫は金属ですので、口当たりがひんやりして、余計冷たく感じるからです。
しかし、冷や水といっても、冷やす設備があるわけではないので、冷たい水をくんできても、時間がたてばぬるま湯になってしまいます。
だから 「ぬるま湯を 辻々で売る 暑いこと」 という川柳もできることになります。