撫子の語源は、花を愛児にみたてて、可愛い子供の頭を、撫(な)でるようにいつくしむ花(子)ということからきているといわれます。
撫子というと日本の女性の代名詞「大和撫子」が思い浮かびます。
日本には4種のナデシコが自生していますが、カワラナデシコが最も一般的ですので、カワラナデシコを単に撫子といいます。
大和撫子は、カワラナデシコの別名です。これは平安時代に中国から渡来したセキチクを唐撫子(からなでしこ)といったことに対して、日本の撫子という意味をもつ名前です。
大和撫子を、日本女性になぞらええるのは、
大伴家持の
『うるはしみ 吾が(わが)思ふ君は なでしこが花 比(なぞ)へて見れど 飽かぬかも』
という歌によるそうです。
「なでしこジャパン」の源をさかのぼると万葉集に行き着くとは思いもよりませんでした。
ちなみに大伴家持は撫子が大変好きだったようで、万葉集にある撫子の歌30首のうち11首が大伴家持の歌だそうです。
また、撫子は古くは常夏(とこなつ)ともいいました。これは花の咲く時期が夏から秋に渡ることにちなむ名前です。
この撫子の別名である「常夏」は『源氏物語』の巻名のひとつともなっていて、撫子は、源氏物語の中で秋の七草の中で最も多く取り上げられています。
「枕草子」では、 『草の花はなでしこ、唐のはさらなり やまともめでたし』
とあり、清少納言は撫子を高く評価しています。
【伊勢撫子】
江戸時代に入ると、撫子の園芸ブームが起こります。そして、江戸時代後期に伊勢撫子が作り出されます。
「伊勢撫子」は、背丈は比較的高く、花弁が長く延びるもので、品種により20センチ以上にもなり垂れ下がります。天保12年(1841)に継松栄二という紀州藩士が作出したと言われています。
伊勢では伊勢花菖蒲、伊勢菊と共に松坂の武士を中心に古くから愛好されて来ました。これらはいずれも花弁が垂れ下がるのが特徴です。
伊勢撫子2 posted by (C)ヨッシィ
江戸時代に光格天皇は非常に伊勢撫子を愛され、京都の宝鏡寺(人形の寺として有名ですね)に下げ渡されたものが、こんにちでも保存されて栽培されているそうです。