今回は3箇所ご案内しますが、ボリュームがありますので、最後までお付き合いください。
英信寺(えいしんじ) (大黒天)
英信寺は法昌寺から2分の至近距離にある江戸時代の初めに創建された浄土宗のお寺です。
英信寺の名前の由来ですが、4代将軍家綱の小姓だった京都の亀山城主の三男だった松平英信(ふさのぶ)が23才で逝去され、この寺に葬られた際に、英信のお姉さんが、逝去を深く悲しみ嘆かれ、英信の木像を造り当寺に安置し、寺号を英信寺と改めたことによるそうです。
三面大黒天
当寺の大黒天は、弘法大師御真作と伝えられる三面大黒天が本堂左側の大黒堂に安置されています。
三面大黒天は、向かって右に弁財天、左に毘沙門天の三つの顔を持つ大黒さまです。
延暦寺を開いた最澄が深く信仰したと言われています。
東京23区内では、目黒の大円寺とことの2箇所しかないと言われています。
大石灯篭
英信寺は松平三家の菩提寺として、亀山藩の松平家の他に、大分県の杵築藩松平家およぴ静岡県の小島藩松平家の藩主のお墓もあります。しかしお参りはできないそうです。
その松平家の関係から、大灯籠が二基あります。この大灯籠二基は、上野寛永寺にあったものを戦后整理の折に当寺に移置したものだそうです。
境内中ほどのものは、亀山の松平家の藩主従五位下紀伊守松平信岑(まつだいら のぶみね)、山門を入ってすぐのものは杵築の松平家の藩主従五位下市正松平 親盈(まつだいら ちかみつ)が、8代将軍吉宗(有徳院殿)がなくなった後、寛延4年(1751)奉献されたものです。
眞源寺 (福禄寿)
「恐れ入谷の鬼子母神」で知られている入谷の鬼子母神です。
お寺の正式な名前は、「眞源寺」と言います。
眞源寺は、英信寺からは4分で、東京メトロ「入谷」駅からは1分です。
万治2年(1659)日融上人により創建されました
鬼子母神は、インド仏教上の女神のひとりである。性質凶暴で、、500人(一説には千人または1万人)の子の母でありながら、子どもを奪い取っては食ってしまう悪い神様でした。
そこで、釈迦は鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させ、改心させたといいます。
以後、子供を守る安産・子育の神として信仰されるようになりました。
入谷鬼子母神では、子育の善神になったという由来からツノのない鬼の字を使っています。
江戸三大鬼子母神
鬼子母神がお祀りしたあるお寺は日蓮宗のお寺が多いそうです。
それは、鬼子母神が法華経というお経の中にでているからだと言います。
入谷の鬼子母神の他に雑司ケ谷の鬼子母神が有名ですが、さらに千葉中山の鬼子母神とが江戸三大鬼子母神と言われています。
福禄寿さま
七福神でお祀りしてあるのは、福禄寿さまです。
上の写真のお堂にまつってありあますが、お堂は山門を入ってすぐ右手にあります。
やさしくかわいい福禄寿さまです。
あさがお
これは正岡子規の句碑です。
漱石来る 蕣(あさがお)や君いかめしき文学士
入谷から出る朝顔の車かな の句が刻まれています。
この句にうたわれていますように、入谷といえば朝顔が有名です。
7月7日の七夕前後3日間、名物の朝顔まつりが開かれ、非常に賑わいます。鬼子母神の境内も朝顔で一杯になります。
朝顔まつりは、大正初期、市街化により朝顔市は途絶えましたが、昭和23年復活したものです。
元三島神社 (寿老神)
元三島神社はJR鶯谷駅北口から1分の至近距離にあります。JRの電車からも見ることができます。
鬼子母神からはあるいて7分です。
瀬戸内海に大三島という島があります。国宝の島と呼ばれたり、しまなみ海道がとおっているのでご存知の方もいると思います。
そこに古くからある「大山祇(おおやまづみ)神社」から勧請したものです。
大山祇神は水軍の神として,瀬戸内海水軍の河野一族の氏神でもありました。
鎌倉時代の弘安4年(1292)蒙古襲来の際,河野通有という人が大山祇-神社で必勝祈願し,戦陣でめざましい活躍をしました。
その河野通有が戦から帰ってきた際、夢の中に,神のお告げがあり,武蔵国豊島に勧請の願を発し分霊を鎮座したのがこの神社の始まりであるといいます。
「元三島神社」と「元」がついているのは、三島神社が,同じ台東区の下谷3丁目と寿4丁目にそれぞれ三島神社があるためではないかと思います。
寿老神さま
お祀りしてある七福神は、寿老神さまです。
社殿の中の奥にお祀りしていますので、写真が小さくなってしまいました。
一般的には、寿老人と書くのですが、ここでは「寿老神」としています。