今日は、 「一ッ橋門」 をご案内します。
一ッ橋は、東京メトロ東西線「竹橋」駅1番出口から3分の距離にあります。
【一本橋が一ッ橋の由来】
一ッ橋は、徳川家康が入国した当時、丸木の一本橋があったのが名称の起こりだそうです。
一時、近くに松平伊豆守の屋敷があったので、伊豆橋と呼ばれたこともありました。
一ッ橋門は寛永6年(1629)に東北諸侯により構築されました。
一ッ橋は、三の丸正面になる平河門の門前にあたります。
一ッ橋に面したところに高麗門のある右折枡形門でした。
【一ッ橋門の石垣】
橋の南東の袂ににわずかに、一ッ橋門の遺構である石垣が残されています。
石垣の表面だけを残した形で残っています。
石垣の下は、現在は日本橋川で、元は外壕でした。
日本橋川の上は高速道路が覆ってしまっているのが残念ですね。
【一橋家の屋敷跡】
御三卿の一つの一橋家の屋敷は、一ッ橋門内にありました。
現在は丸紅となっている敷地に史跡説明板が立っています。
屋敷は広大で、一ッ橋から神田橋まで占めていたようです。
一橋家は、8代将軍吉宗の第4男の宗尹(むねただ)が寛保元年(1741)に興した家です。
11代将軍家斉は、一橋家出身で宗尹(むねただ)の孫になります。
15代将軍となった一橋慶喜は、水戸家から一橋家に養子にはいって一橋家の9代当主となっていました。