今日はフランスの最初の公使館となった済海寺(さいかいじ)について書いていきます。
【ロッシュがここを拠点として活動】
済海寺は、JR田町駅から徒歩11分の聖坂を登った東側にあります。
本堂・庫裡は平成9年に改築され、近代的な建物となっています。江戸三十三観音札所でもあります。
済海寺は、浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来です。
安政5年(1858)9月に日仏修好通商条約が締結され、安政6年(1859)8月に初代フランス駐日総領事ド・ベルクールが江戸に到着し、領事館が済海寺に設置されることになりました。
文久元年(1861)には公使館となって明治3年4月に公使館が引き払われるまで、書院、庫裡が宿館として使用されました。
文久3年に着任した公使ロッシュがここを拠点にして活発に幕府支援の外交を展開しました。
【牧野家、久松松平家の菩提寺】
元和7年(1621)念無上人を開山として創建されました。開基は越後長岡藩2代目藩主牧野忠成で、以降牧野家の菩提寺となりまりました。
寛文2年(1662年)伊予松山藩第2代藩主松平定頼が江戸藩邸三田中屋敷で落馬しなくなりました。遺骸は済海寺で荼毘に付され、遺骨は松山古町大林寺、分骨が高野山に葬られました。これ以降、松山藩松平家(久松家15万石)の菩提寺ともなりました。
なお、ご住職の奥さまのお話では、開基牧野家の墓所は、昭和58年の墓地改修工事に伴って、長岡に移転したそうです。
【亀塚】
聖坂を上がって済海寺に隣接する亀塚公園に古くから古墳として知られる亀塚があります。
港区教育委員会等の学術調査が行われ、古墳時代以降に築造されたものとわかったそうですが、内部の構造が確認できていないため、古墳であるとは断定できていません。しかし、その可能性は高いと言われています。
また、ここは平安時代中期に書かれた「更級日記」の竹芝寺伝説の地とも伝えられています。
江戸時代にこの地を下屋敷としていた上野沼田藩第2代藩主・土岐頼煕(よりおき)が、寛延3年(1750年)に建てた「亀山碑」(上の写真)が亀塚の頂上にあります。