今日は、軍艦操練所についてご紹介します。
【築地中央卸売市場駐車場】
軍艦操練所跡の説明板が、築地6丁目交差点の信号のそばに設置されています。
東京メトロ日比谷線の「築地」駅1番出口から徒歩5分のところで、築地中央卸売市場の勝鬨門駐車場の前になります。
☆右写真の通り、勝鬨門駐車場は大きなビルです。
【長崎海軍伝習所卒業生が指導者となる】
軍艦操練所は、安政4年(1857)、講武所内に軍艦教授所として開設されました。
それ以前、黒船来航後に海軍の強化に乗り出した江戸幕府は、最初の本格的な海軍教育機関として、安政2年(1855)に長崎に海軍伝習所を設置しました。
そして、安政4(1857)年、長崎海軍伝習所の第一期の伝習が終わると、永井尚志(ながい なおゆき)以下の長崎海軍伝習所の第一期伝習生と軍艦「観光丸」を江戸に移動し、軍艦教授所が開設したのでした。
この時、勝海舟だけが、長崎海軍伝習所に残され、第二期の伝習生の指導にあたりました。
【勝海舟が教授方頭取】
その後、軍艦教授所から軍艦操練所に名前が改称されました。
当初は幕臣だけに限定されていましたが、その後、諸藩からの学生も受け入れるようになりました。
軍艦操練所の教授陣は長崎海軍伝習所の卒業生が中心でした。
長崎から帰った勝海舟も教授方頭取となって指導しました。また、ジョン万次郎も軍艦操練所の教授を務めた時期があります。
安政7年(1860)にわが国初の太平洋横断を実行した咸臨丸の乗組員も、この軍艦操練所からボートにのり、品川沖に停泊していた咸臨丸に乗り込んだそうでうす。
軍艦操練所は、その後2度、付近で発生した火災に類焼して、施設の大半を失い、慶応3年(1867)に築地から浜御殿へと移転しました。
その後、跡地には築地ホテルが建設されました。
説明板は上の写真を参照してください。説明板の前面の道路は晴海通りです。