浅草寺は、江戸っ子に大変親しまれたお寺であるため、浅草寺を題材にした川柳が数多くあります。
今日は、既にご紹介したものも含めて、その川柳のいくつかをまとめて取り上げてみます。
文殊の知恵で引き上げる
浅草寺のご本尊を引き上げたのは、土師中臣と檜前浜成・竹成の三人です。この三人と「三人寄れば文殊の知恵」とかけたものです。
風の神雷門に居候
門の名で見りゃ風神は居候
雷門の正式名称は「風雷神門」ですが、一般的に「雷門」と呼ばれていることを詠んだもの
水茶屋へ来ては輪を吹き日を暮らし
おおたわけ茶店で腹を悪くする
現在の仲見世の北のはずれに20軒の茶屋があり二十軒茶屋と呼ばれていました。
二十軒茶屋のきれいな看板娘を目当てに一日中煙草を吹きながら居つづけたり、お茶を何杯も飲んでお腹を悪くした情景を詠んだものです。
小兵でも坂東一の菩薩なり
小粒でもこれ見てくれの大伽藍
浅草寺のご本尊は一寸八分(約5.5センチ)、そんな小さなご本尊様だが伽藍は大きい。
二九の尊 二九の堂には 二九の徳
二九で18になるので、二九の尊は一寸八分のご本尊、二九の堂は18間四方の大きさと言われていた本堂、二九の徳は18日に示現したことを指している。
天人が小田原町をのぞいてい
戦災で焼失する前の本堂には、天井に天人の絵が描かれていて、日本橋小田原町から奉納された大提灯が下げられていたそうです。
格天井へ名をつるすよい女郎
江戸時代、浅草寺本堂には、吉原の女郎から奉納された提灯が吊り下げられていました。
煩悩はまがり菩提はすっと行き
駕籠かきは伝法院へ尻を向け
抜けるのを弓矢を持ってねめている
浅草寺の北側には吉原がありました。吉原に行く近道は、本堂前を右に折れて現在の現在の二天門(江戸時代は随身門)を抜けて行くのが近道でした。
たおやかな婆ぁ様もいる浅草寺
弁天堂に安置されている弁財天は白髪であるので、「老女弁財天」と呼ばれています。「婆ぁ様」とはその「老女弁財天」を指しています。
付け文のそば弁天と濡れ仏
久米平内堂のそばに、弁天山があり二尊仏があります。「付け文」とは久米平内堂を指しています。
これらを読むと、浅草寺が江戸っ子に非常に愛されていたということがわかります。
また、江戸っ子が非常にユーモアにあふれていたということもわかります。