そのため、江戸時代にも、お城には木が現在と同じように植えられていると思いがちです。
かくいう私もそう思っていました。
【昔、城内には木は植えられなかった】
しかし、江戸時代には、多くのお城では、城内に樹木は植えられていなかったようです。
正保年間に幕府の指示でまとめられた「正保城絵図」によると、本丸・二の丸に樹木が植えられている城は極めて少ないそうです。
ほとんどのお城は、視界をさえぎるような樹木は植えられていないのが普通でした。それは、敵が城内に潜入した時に、いち早く発見できるようにするためです。
そのように城内に植えられることが少ない木の中でも、例外的に植えられているのは松でした。
【松は凶荒食物】
松は、凶荒時の食料になるために、城内に植えられる植物として選ばれたようです。
「救荒植物集説」という書物に
「松樹の皮黒色なるものを男松、その皮赤きものを赤松と呼び、共にその松花、松皮を古来凶歳には食料にもちう」と書かれています。
それでは、松の葉や皮が食糧になるとのことですが、どのように松の葉や皮をたべたのでしょうか。
青木昆陽の「昆陽漫録」には、松葉の食べ方が書かれているそうです。
それによると、松葉を摘み取って、これを杵等で搗きます。そうすると汁が出てグチャグチャになるので、これを干して乾燥させます。乾いたら更に搗いて粉末にします。これと米の粉を混ぜて食料としました。
また、「飢食松皮製法」という書物に松の皮の食べ方が書かれているそうです。
「松の皮を石上にたたき粉にして食し、また薬皮にて、すぐにも用いけれど中毒する事なし。籾(もみ)、松の多く入りたるを、かゆ雑炊に入れてたけば、とけてなくなる・・・」
これを読むと、松の皮も粉にして、ぞうすいとに混ぜて食べたようです。
【城周辺部の松は目隠し】
なお、城の周辺部には、城の外から隠すために松や杉が植えられました。
松は、枝が低く垂れ、目隠しに適していたためといわれています。
なお、8代将軍吉宗は、江戸城の長大な塀の修繕費用の削減のために、外郭の塀を撤去して、そのかわりに松を植えたと言われています。