【コマツオトメはソメイヨシノの親】
ソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンの交配で作出された品種とされています。
ソメイヨシノの親となったのは、エドヒガン系の中でも、「コマツオトメ」と考えられています。
上野公園の原木に咲く「コマツオトメ」が右の写真です。
元東京都公園課の西田尚道氏が、小松宮の銅像の脇にあり、花がかわいらしく美しいので「コマツオトメ」と名づけたそうです。
コマツオトメの原木(下の写真)は、名前の由来となった小松宮彰仁親王の銅像の脇に1本だけ生えています。そのコマツオトメは、写真のように上野公園では満開でした。
【桜に囲まれた小松宮銅像】
小松宮銅像は、JR上野駅の公園口を出て、上野動物園に向かって歩き、桜並木を過ぎた場所にあります。
小松宮銅像の周りには、コマツオトメ、ソメイヨシノ、イチヨウ、カンザンなどの桜が植えられています。
下の写真は、桜の花越しに撮った小松宮の銅像です。手前の桜は「コマツオトメ」でなく「ソメイヨシノ」です。
ところで、小松宮がどんな人なのか調べてみましたので、写真の下を読んでください。
小松宮彰仁親王は伏見宮邦家親王の第8王子として生まれ、京都の仁和寺に入って純仁法親王と称しましたが、慶応3年(1867)、還俗し、東伏見宮嘉彰親王と改称しました。
鳥羽・伏見の戦・戊辰戦争に従軍し、その後、佐賀の乱や西南戦争の鎮圧にあたりました。
明治15年10月、それまでの旧名である東伏見宮を小松宮に改名します。
明治24年12月近衛師団長、明治28年1月から31年1月まで参謀総長、陸軍元帥となります。
また、日本赤十字社の総裁として赤十字活動の発展に貢献しました。
明治36年になくなり、銅像は明治45年建てられました。
当地に建てた理由について、『下谷区史』は寛永寺最後の門跡・輪王寺宮公現法親王(のちの北白川官能久親王)の兄宮であったことに因んだのだろうと推察しているそうです。
北白川家との関係では、さらに、小松宮彰仁親王の継嗣として、北白川官能久親王の第4王子輝久王が臣籍降下し、明治43年に小松侯爵家を創設したという関係もあります。
赤が小松宮銅像、青が上野動物園正門です。上野動物園の正門の手前にあります。