【秋色桜】
江戸時代に上野で桜といえば、必ず名前があがったのが、「秋色(しゅうしき)桜」です。
現在も清水観音堂のそばにあります。
「秋色(しゅうしき)」というのは、人の名前(正しくは俳号)です。しかも女性です。
元禄の頃、日本橋小網町の菓子屋の娘お秋が、花見客で賑わう井戸端の様子を詠んだ次の句によって名所になりました。
「井戸端(ばた)の桜あぶなし酒の酔」
桜の枝に結ばれたこの句は、寛永寺の住職である輪王寺宮に誉められ、一躍江戸中の大評判となりました。
お秋は、9歳で宝井其角の門に入り、俳号を菊号亭秋色と号しました。この俳句を詠んだ当時、お秋は13歳だったと伝えられています。
以来この桜は「秋色桜」と呼ばれています。
秋色桜は清水観音堂の東南にあります。
しかし、清水観音堂と秋色桜ですが、秋色がこの俳句を詠んだ江戸時代はじめ頃には擂鉢山の上にあったそうです。
清水観音堂は、擂鉢山から現在地に移され、それと同時に井戸と桜も移されたようです。
清水観音堂や西郷さんの銅像がある場所は、桜ヶ丘や山王台と呼ばれます。
ここは、寛永7年に、林羅山が幕府から屋敷を拝領した場所といわれています。
林羅山は自分の屋敷に桜を植えて、塾に「桜峯塾」と名づけたそうです。そうしたころから桜ヶ丘という別名で呼ばれるようになりました。
また、ここにあった孔子病が元禄4年に湯島に移転し、しばらくした後に山王社が建立されました。
山王社があったところから山王台とも呼ばれるようになりました。
秋色桜を大勢の人が眺めたり写真をとったりしていました。写真の右側が清水観音堂です。
この秋色が生まれた和菓子屋が現在も三田で和菓子屋さんをしています。「秋色最中」を売っている 「大阪屋」さんです。
以前お邪魔して「秋色最中 大坂家 (江戸からの和菓子14)」 に書きましたのでご覧ください。