しかし、龍馬暗殺犯のついては、京都見廻組説や薩摩藩黒幕説のはかにも、本当に様々な説があります。
その中には、坂本龍馬の出身である土佐藩が関与しているという説もあります。
今日は、薩摩藩が黒幕ですが、実行犯は土佐藩士と薩摩藩支藩の佐土原藩脱藩士という「犯人土佐薩摩藩連合説」について紹介します。
これは立命館史学会の西尾秋風氏が書いています。
西尾秋風氏の結論は
・標的は坂本龍馬
・実行犯は、宮川助五郎ほか陸援隊士5名と佐土原脱藩士3名からなる「土佐・薩摩連合刺客団」
・命令者は中村半次郎
というものです。
西尾氏は、海援隊士の佐々木多門が旗本松平主税の家臣岡又蔵あてに書いた密書に「才谷(坂本龍馬の変名)殺害人、姓名まで相分り、是に付き薩摩藩の所置等、種々愉快の義これあり」と書かれていることから、龍馬暗殺に薩摩藩が関与していたという「薩摩藩説」に確信を持つにいたったと言っています。
その行動隊長には在京藩士の中では中村半次郎しか考えられず、その中村半次郎が刺客団を結成するとすれば、薩摩藩は手を汚さずにいつも面倒をみている連中に眼をつけるだろうと推測しています。
そこで浮上するのが昨日も書いた伊東甲子太郎の高台寺党であるが、西尾氏は、中村半次郎であれば高台寺党より「三条大橋制札事件(さんじょうせいさつじけん)」で薩摩藩邸に逃げ込んできた土佐藩の5名を利用したのではないかと考えています。
「三条大橋制札事件」は、前年の慶応2年8月21日に、新選組が三条大橋西詰の制札を引き抜こうとした土佐藩士を襲撃した事件です。右上写真は、現在の三条大橋西詰
この時、リーダーの宮川助五郎が逮捕されて、2名が殺害され、残りの土佐藩士たちは薩摩藩邸に逃げ込んでいました。 西尾氏は、この土佐藩士たちは、薩摩藩に恩義を感じているはずだから、この人たちを利用したと考えています。
さらに、11月15日には首領の宮川助五郎も釈放され土佐藩邸の牢屋に収容されました。
こうして、土佐藩士宮川助五郎以下6名さらに佐土原脱藩士3名を加えた合計9名の刺客団が結成されたのではないかとしています。
釈放されたばかりの宮川助五郎ではなく、中村半次郎自身が刺客団に加わった可能性も否定できないとも西尾氏は書いています。