人気ブログランキング | 話題のタグを見る
京での異変 (亀戸天神⑤  亀戸散歩)
菅原道真がなくなった後、京には異変が相次ぎました。
今日はそのお話です。

【配流の要因】 
 異変の話の前に、道真が左遷された理由について諸説あると前回書きましたが、
 それについて、京都産業大学法学部教授所功(ところいさお)氏が「菅原道真の実像」(臨川書房)の中で詳しく書いています。
 道真は、醍醐天皇を退位させ、醍醐天皇の弟で自らの婿でもある斉世親王(ときよ しんのう)を皇位に即けようとしたという嫌疑で、大宰府へ左遷されました。
京での異変 (亀戸天神⑤  亀戸散歩)_c0187004_11125069.jpg こうした嫌疑がかえられ左遷された原因についての諸説をまとめると次の4つ分類できるそうです。
 ①道真は無実で時平が一方的に策謀したもの
 ②道真は無実だが源善(みなもとのよし)等が醍醐天皇の廃立を画策したためとみる説
 ③道真は無実だが、宇多法皇が醍醐天皇の廃立を首唱したためとみる説
 ④道真も源善と法皇の斉世親王擁立計画に参加したためという説
 この中で、数的には①を主張する人が道真の子孫・天満宮関係者をはじめ北畠親房・林羅山・菊池寛・徳富蘇峰など圧倒的に多いそうです。
 これらの諸説を検討したうえで、所功氏は、
 配流の要因は、道真は一族と菅家門流の宮廷内外における非常な勢力発展が誘因となり、それを抑止排除しようとする左大臣藤原時平側の画策が動因となった
 と結論づけています。

【道真没後の異変】 
 さて、道真が延喜3年(903)になくなった後、京で起きた異変について書いてみます。
 まず、道真がなくなって5年後の延喜8年(908)に藤原時平の策謀に加担した藤原菅根がなくなりました。
藤原菅根は、道真左遷をやめさせるために皇居に駆け付けた宇多法皇の参内を阻止した人物です。
 そして翌年の延喜9年(909)には、藤原時平自身が39歳の若さで病死しましました。
 また、時平の右腕であり道真の後に右大臣となった源光(ひかる)が延喜13年に狩猟中に沼におちてなくなりました。
 道真の左遷の中心人物とみなされた人物が相次いで死んだのは道真の怨霊の仕業と多くの人は考えました。
京での異変 (亀戸天神⑤  亀戸散歩)_c0187004_1111328.jpg 次いで、延喜23年(923)に、醍醐天皇の皇子で時平の甥でもある皇太子の保明(やすあき)親王が21歳でなくなりました。
 これも菅原道真の怨霊の仕業だと世間では大いに噂されました。
 道真の怨霊を怖れた朝廷は、保明親王がなくなって1か月後の4月、道真を元の従二位右大臣に戻したうえ、正二位に贈位し、醍醐天皇は昌泰4年の道真の左遷を命じた宣命を破棄させました。
 さらに、翌月の閏4月11日には元号を延喜から延長に改元しました。
 改元までするということはいかに朝廷が道真の怨霊を怖れたかを表しています。
 しかし、変事はこれでおわりませんでした。
 保明親王がなくなった2年後の延長3年(925)保明親王の皇子で保明親王がなくなた後に皇太子となった慶頼王(時平の外孫)がわずか5歳でなくなります。
 朝廷は道真の怨霊の怖さを一層感じたと思います。しかし変事はそれでも終わりませんでした。
  5年後の延長8年(930)に清涼殿に落雷があり、多くの公卿が死傷しました。
 その年は日照りが続き干ばつとなったため、皇居の清涼殿で公卿があつまって干ばつ対策を相談していた時に落雷があり、道真の左遷に関与したとされる大納言藤原清貫が即死するなど多くの死傷者が出ました。
 それを目撃した醍醐天皇のショックも大きく体調を崩し病床に伏し、3ヶ月後の9月に崩御しました。

 これらを道真の祟りだと恐れたことから、京都の北野に北野天満宮(左上写真)を建立して道真の祟りを鎮めようとしました。
 北野は、北野天満宮が創建される前から天神地祇や雷神を祭祀する地だったそうです。
 道真は清涼殿落雷の事件から雷神と結びつけられたため、北野の地に「天神」として祀られたそうです。

 これ以降、天神信仰が全国に広がっていきます。
 天神信仰については次回書きます。
by wheatbaku | 2012-03-12 11:14 | 大江戸散歩

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
by 夢見る獏(バク)
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
ブログパーツ
ブログジャンル
歴史
日々の出来事