【北斎も信仰】
柳嶋の妙見様は、葛飾北斎と縁があるとのことで、大きな看板が掲げられていました。
スカイツリーを見に来る人にも訪ねてもらおうとして設置しているとのことでした。
葛飾北斎は、葛飾の本所の生まれであったため「葛飾」と名乗り、「北斎辰政(ときまさ)」と改名したのは「開運北辰妙見大菩薩」を信仰していたからと言われています。
確かに「北斎辰政」の中には「北辰」が入っています。
北斎は、入門していた勝川春章に破門されました。兄弟子の勝川春好との不仲とも、狩野派の画法を学んだからともいわれます。
このとき、生活に窮した北斎は、一時、絵筆を折ろうとまでしますが、「柳嶋の妙見様」へ21日間お参りし、満願の日の帰り道に落雷に遭って失神した後、めきめきと売れ出して有名になったという言い伝えがあるそうです。
【名所江戸百景「柳しま」】
柳島の妙見様は、この北十間川と横十間側が交わる場所にありました。歌川広重の描いた「柳しま」です。
絵の中央を横に流れるのが北十間川です。そして下部を斜めに流れるのが横十間川です。
絵の左下の部分に描かれています。絵の中央にあるのは「橋本」という会席料理のお店です。
柳嶋の妙見様に参詣にくる人は船でくるひことが多かったようで、船着き場も描かれています。
絵の上部をしめる北十間川の北側は田園風景が広がってはるか遠くには筑波山が見えています。
絵の左側も同様な風景が広がっていたであろうと思われますが、今では、そこにスカイツリーが建つわけですから大きく風景が変わっています。
【落語「中村仲蔵」】
私が柳嶋の妙見様を知るきっかけとなったのが、落語の「中村仲蔵」です。
八代目林家正蔵(林家彦六)の口演でした。
「仮名手本忠臣蔵」の五段目の山崎街道は、ここでのストーリーはみんな知っているので弁当を食べていたため、弁当幕と呼ばれました。
この五段目の中心人物は山賊の斧定九郎で、元は3万5千石のお大名の家老であったという設定です。
この「定九郎」は名題役者が務める役ではありませんでした。
その「定九郎」の役が、初代中村仲蔵にふられましたので、仲蔵のプライドが傷つきました。
そこでなんとかしてお客から喝采を浴びたいと考えた仲蔵は柳嶋の妙見様に願掛けをします。
満願の日に、大雨のため飛び込んだ蕎麦屋でであった浪人の姿をみて、それをヒントに従来の定九郎のイメージを一新した仲蔵流の定九郎を作り上げました。
そして中村仲蔵の演じた定九郎は大評判となりました。
そプロセスを描いたのが落語「仲村仲蔵」です。
この初代中村仲蔵が作り上げた定九郎がの役作りが現代まで続いているそうです。