岡崎の大樹寺で最も見たいと思っていたものは、徳川将軍家の位牌です。今日は、このお話です。松平家徳川家の位牌は、位牌堂にあります。
位牌堂は、本堂から入るので、外観がどうなっているのかわかりませんでしたが、大樹寺のHPによると右のような建物です。
位牌堂の中に入ると、正面に家康の位牌と木造が安置されています。
家康は「遺体は駿河久能山に葬る事、葬礼は江戸増上寺で行うこと、位牌は三河大樹寺に立てること、一周忌が過ぎたら下野日光山に小堂を建てて勧請せよこれにて関八州の鎮守とせよ」と遺言したと言われています。
「家康の位牌は遺言通り大樹寺に立てられたと思われますが、安政の火災で記録が焼失しているため定かではありません。
おそらく一周忌には位牌は調整されていたものと思われます。」というのが大樹寺の説明です。
また、現存の位牌は当時のものではなく、家康の13周忌にあたる寛永5年(1628)尾張藩主義直が調進したものだそうです。
家康の木造は、正保4年左京法橋康以の作で、寄木造、玉眼、彩色、像高47cm、現在墓地になっているところにあった御霊屋に安置されていたものです。
戦前の国定教科書に載っていた家康の写真はこの木造だそうです。
位牌堂の右手に松平7代の御位牌、左手に将軍家の御位牌が並んでいます。
松平家の御位牌は、寛永5年(1628)に 徳川義直が寄進したもので、総高はすべて同じです。
堂内に、御位牌がずらっーと並べられているのは非常に壮観です。
右写真が、松平家の御位牌です。
左下が、将軍家のお位牌です。
左側には将軍家の位牌が並んでいます。
この大樹寺の位牌の高さは、将軍の身長に合わせて作られていると言われています。
歴代将軍の法名と位牌の高さを列記すると次のようです。
これを見ると、5代綱吉の位牌は124センチであるのが、異常に低いと思います。
7代家継は、8歳で死んでいるので、135センチというは当然だと思いますが、綱吉は家継よりも低くなっています。
見た目にも、明らかに、綱吉の位牌は他の位牌と比較して低く見えました。
位牌の高さが、身長に合わせたものであるという説に従えば、綱吉自身の身長が低かったということになります。
初代家康 前大相国一品徳蓮社崇誉道和大居士 位牌の高さ 159センチ
2代秀忠 台徳院殿一品大相国公 位牌の高さ 160センチ
3代家光 大猷院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 157センチ
4代家綱 厳有院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 158センチ
5代綱吉 常憲院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 124センチ
6代家宣 文昭院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 156センチ
7代家継 有章院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 135センチ
8代吉宗 有徳院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 155.5センチ
9代家重 惇信院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 151.4センチ
10代家治 浚明院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 153.5ンチ
11代家斉 文恭院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 156.6センチ
12代家慶 慎徳院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 153.5センチ
13代家定 温恭院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 149センチ
14代家茂 昭徳院殿贈正一位大相国公 位牌の高さ 151.6センチ
位牌堂での撮影は禁止されているため、残念ながら写真が撮れませんでした。
今回使用した写真は、大樹寺様のご了解を得て使用しているものです。