金戒光明寺と京都守護職(江戸検お題「徳川将軍15代」)
 今日は、金戒光明寺と京都守護職についてです。
 金戒光明寺は、浄土宗の七大本山の一つで、法然上人が比叡山を降りて最初に黒谷で草庵を結ばれたと言われていますが、その草庵が金戒光明寺のはじまりです。
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 山門、阿弥陀堂、本堂 など18もの塔頭寺院が建ち並ぶ大寺院ですが、京都の人々には「くろだにさん」と呼ばれ親しまれています。
 タクシーの運転手に「金戒光明寺まで」と告げたら、一瞬怪訝な顔をした後、「あぁ、くろだにさんですね」という返事でした。
 右上写真は、御影堂です。昭和9年火災により焼失し、昭和19年に再建されました。

 ここは、幕末に京都守護職となった会津藩主松平容保の本陣となったことで有名です。
 京都守護職は、畿内諸藩の軍事指揮権を持ち、京都を中心に広く畿内全般の治安にあたる役職です。
c0187004_10311527.jpg 文久2年ごろになると京都では天誅事件が頻発し、京都所司代が無力化してきたため、家格と実力を兼ね備えた強力な所司代として松平容保の名が取りざたされていました。
 しかし、あまりにも家格が高すぎるということで、この話は立ち消えになりました。
 そして、政治総裁職となった松平春嶽を中心に、所司代より強力な京都守護職を設置し、松平容保を任命しようという案が浮上しました。
 京都守護職に期待されたのは、その武力です。徳川慶喜は「昔夢会筆記」で「所司代がもっと強ければそれでよいのだけれど、小禄の大名では兵力も十分ではないから、その兵力の補足というのがそもそも始めだ」と書いています。
 左上写真は、山門です。現在修復工事中で覆いがかかっていました。写真は修復工事前の山門です。 この山門は万延元年(1860)に完成したものです。堂々とした山門で、この山門を見るのも楽しみだったのですが、修復中で見られず残念な思いをしました。

 会津藩は京都守護職に任命されるにあたり幾度か固辞をしましたが、春嶽が藩祖保科正之の「家訓(かきん)」の話を持ち出して容保を説得したため容保が決意したと言われています。
 家訓の第一条は
   大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
  若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。
  となっていて、将軍家のために一心に勤めよというものでした。
c0187004_10433881.jpg 守護職応諾の話を伝えられた国家老の西郷頼母・田中土佐は、国許から急遽上京し、「薪を背負って火を防ぐようなもの」と反対しましたが、容保の意は変わらず君臣一同「君臣唯京師の地を以て死所となすべきなり」と肩を合わせて泣き崩れたといわれています。
 文久2年閏8月1日、松平容保は江戸城へ登城し、将軍徳川家茂から京都守護職に任ぜられました。
この後、京都守護職には薩摩の島津久光を任命するよう朝廷の意向が伝えられましたが、最終的に任命されたのは松平容保でした。
 右上写真は、阿弥陀堂です。阿弥陀堂は、慶長10年(1605)に豊臣秀頼により再建されたもので、金戒光明寺の中で最も古い建物です。 本尊阿弥陀如来は、恵心僧都最終の作と言われています。

 これにより、松平容保は、文久2年12月9日家臣一千名を率いて江戸を発ちました。
c0187004_1658933.jpg そして、12月24日に京都三条大橋に到着し、京都町奉行の永井尚志と滝川具知の出迎えを受けました。
 このうち永井尚志は京都東町奉行で容保の推薦による任命されました。
 そして、容保は、関白近衛忠熙に着任の挨拶をしたのち、本陣となった黒谷金戒光明寺に着陣しました。
 威風堂々とした行軍は一里余りも続き、会津藩の威力を誇示し、会津藩を歓迎する京の人々の人垣は、蹴上からずっと続いていたそうです。
 上の写真の松は、「熊谷次郎直実鎧掛けの松」と名付けられた松です。
 熊谷直実が法然上人に帰依し出家する際に、この松に鎧を掛けたと言い伝わっている2代目の松です。

 ではなぜ、金戒光明寺が本陣に選ばれたのでしょうか。金戒光明寺では、その理由として、次の三点をあげています。
1、城構えである。
 京都は重要な都市であったため、徳川家康は、防御に工夫をしています。
c0187004_10314550.jpg 二条城を作り所司代を置いたほかに、金戒光明寺と知恩院を城構えとして、何かある時には軍隊が配置できるようにしてあります。
 黒谷に大軍が一度に入ってこられないように南には小門しかなく、西側には 右写真をみてお分かりになると思いますが、立派な高麗門が城門のように建てられています。高麗門は、通常はお城に設置される門ですが、その高麗門がお寺にあったのでビックリしました。
小高い岡になっている黒谷は自然の要塞になっており、特に西からやってくる敵に対しては大山崎(天王山)、淀川のあたりまで見渡せます。
 塔頭の西翁院にある「淀看(よどみ)の茶席」(重文)は、茶席より淀川の帆船を見ることが出来たのでこの名が付けられたとのことです。
また、黒谷古地図によると浪華城遥矚(ようしょく) とあり大坂城まで見えたともいわれています。
2、要所に近い。
御所まで約2㎞、粟田口(三条大橋東)東海道の発着点までは1.5㎞の下り、馬で走れば約5分、人でも急げば15分で到着できる要衝の地でした。
3、千名の軍隊が駐屯できる。
 約4万坪の大きな寺域により一千名の軍隊が駐屯できました。
 金戒光明寺では、2.3の塔頭を除いて、本坊以下ほとんどの塔頭を会津藩に引き渡しました。
 本坊の御本尊様も栄摂院に移されました。
 金戒光明寺には大小52の宿坊があり駐屯の為に大方丈及び宿坊25ヶ寺を寄宿のため明け渡したという文書が残されているそうです。
 ともかく広い境内でした。

 金戒光明寺には、お江のお墓(下写真左)、徳川忠長(下写真中央)、春日局(下写真右)のお墓があります。
 今回、それぞれのお墓もお参りしてきました。
 お江のお墓と徳川忠長のお墓は春日局が建立したものだそうですが、春日局のお墓は誰によって建立されたのかは不明でした。

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 赤印が金戒光明寺です。平安神宮の北東にあります。

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by wheatbaku | 2012-08-17 10:29 | 江戸検お題「徳川将軍15代」 | Trackback
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