待乳山聖天の登り口に、「池波正太郎生誕の地」の碑があります。西側の登り口ですのでお間違えのないようにしてください。
言問橋西の交差点から約200メートルの距離です。
記念碑は平成19年に建立されました。
池波正太郎さんは、大正12年1月25日、旧東京市浅草区聖天町61番地(現在の東京都台東区浅草7丁目3番付近、)で誕生しました。
生誕地は「待乳山聖天」から道路を一つ隔てすぐ南側の場所です。
池波正太郎さんが生まれて間もなく関東大震災が起こりました。
池波正太郎さん一家は埼玉県浦和市に逃れたため、正太郎さんは生後間もなくの数ヶ月しか住んでいません。
そのため、池波正太郎さん自身が、「聖天町の生家の記憶はない」といっています。
しかし、「生家は跡形もないが大川(墨田川)の水と待乳山聖天宮は私の心のふるさとのようなものだ」と書いており、ここを大切に思っていたようです。
鬼平犯科帳の中には、今戸橋の船宿が出てきます。今戸橋は待乳山聖天のすぐ近くです。船宿の名前は「嶋や」と言い、鬼平がひいきにしている船宿です。
こんな所にも生まれ故郷に対する池波正太郎さんの思いが出ているのかもしれません。
赤印が「池波正太郎生誕の地」碑です。 待乳山聖天のすぐ近くにあります。