現在の三田は、江戸時代に、多くの大名屋敷がありました。
今回の三田散歩でも、多くの大名屋敷跡を案内しました。
昨日紹介した、水野家屋敷跡や松平家屋敷跡もその一つです。
今日は、薩摩藩島津家の上屋敷跡をご案内します。
三田には、NECの本社が一際目立ちます。
このNECの本社は薩摩藩上屋敷の跡に建っています。
ただしく言うと、薩摩藩上屋敷の一部です。多くの案内書では、右の石碑がよく紹介されます。
この石碑は、NEC本社の北側の植え込みに設置さえています。
この石碑がNEC本社にあるので、NEC本社全体が薩摩藩邸の跡のように受け取られがちです。
しかし、NEC本社は、正しくは、北川が薩摩藩上屋敷跡で、南側が因幡鹿野藩上屋敷の跡に建っています。
NEC本社は薩摩藩上屋敷の南のはずれで、薩摩藩上屋敷の中心は、NEC本社の北側にある三井住友信託銀行とセレスティンホテルの部分です。
三井住友信託銀行とセレスティンホテルの間の広場に、「芝さつまの道」と書かれた案内図があります。
薩摩藩は、77万石の大藩ですので、江戸に、いくつもの屋敷がありました。
幕末には、薩摩藩邸は最低6か所あったと言われています。
私が承知しているだけで6か所あります。
ちなみに、三田の上屋敷、日比谷の装束屋敷、高輪の中屋敷、田町の蔵屋敷、渋谷の下屋敷 そして現在は八芳園になっている白金の屋敷、以上6か所です。
そのうち三田にあった上屋敷は約2万2千坪(2万1785坪)もありました。
ここが薩摩藩の江戸での中心になりました。
幕末には、島津斉彬が住んでいました。
天璋院篤姫が13代将軍家定に輿入れする際にも、まず最初に、三田の上屋敷に入りました。
しかし、その後、安政2(1855)年10月2日に、安政の大地震が起きて、上屋敷が被害をこうむったため、渋谷の下屋敷に移りました。
篤姫は1年余り、下屋敷で過ごした後、安政3年11月11日に江戸城に輿入れしました。
赤印がNEC本社です。 青印がセレスティンホテルです。