東北寺をご案内します。
東北寺は、東京メトロ「広尾駅」からだと徒歩10分、JR恵比寿駅からでは15分弱かかります。
東北寺は、「とうぼくじ」と読み、北を「ぼく」と濁って読みます。
東北寺は、臨済宗妙心寺派のお寺です。
至道無難というお坊さんが至道庵を寛永6年麻布桜田町に創建しました。
その後、米沢藩2代藩主上杉定勝の正室生善院が中興開基となり、元禄9年(1696)に現在地へ移転し、寺号を東北寺に改めたといいます。
ここには、吉良上野介の正室富子のお墓があります。
富子は、上杉定勝の四女として生まれ、万治元年(1658年)吉良上野介に嫁ぎました。
松の廊下の刃傷事件後、吉良家の屋敷が呉服橋から本所松阪町へ移された時、富子は上野介に同道せずに芝白金にある上杉家下屋敷へ移りました。
元禄15年(1702)12月14日の討ち入りで上野介が死去すると、富子は落飾して梅嶺院と号し、その菩提を弔いました。
上野介がなくなった2年後の宝永元年(1704)、夫や息子の綱憲(宝永元年6月2日死去)の後を追うように上杉家下屋敷で死去しました。
富子のお墓は、母親の生善院のお墓と隣あってあります。右上写真の中央が富子の墓です。
なお、右側の五輪塔は、上杉定勝のお墓と書いてある本もありましたが、御住職にお尋ねしましたら、定勝公のお墓ではないとのことでした。