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両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)
 昨日は、文京学院大学生涯学習センターさんの「四十七士が歩んだ道~これが本当の『忠臣蔵』~」が開かれ、両国での「忠臣蔵」ゆかりの史跡めぐりをしてきました。
 生憎の霧雨状態の天候でしたが、皆さん、熱心に聞いていただき、充実したガイドになりました。
 
両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)_c0187004_9191117.jpg 昨日の参加者は、総計32名でしたので、ガイドをする人数としては限界近くですが、文京学院大学さんが用意してくれた小型スピーカーと参加者の皆さんのすばやい移動で、大勢の割には混乱もなくガイドができました。
 ご参加いただいた皆さん、お疲れ様でした。 

  今回は「忠臣蔵散歩」で、今年の「江戸検」の課題と関係していますので、江戸検を受験される方も大勢(10人弱)参加されていましたし、「獏さんの忠臣蔵ブログ、いつも読んでいますよ」と言ってくださる参加者の方も複数名いらっしゃっいましたので、案内する側としては、緊張するガイドでした。
 ご参加いただいた皆さん「忠臣蔵散歩」はいかがでしたか?
 私は、熱心に聴いていただけたので、楽しいガイドになりました。ありがとうとざいました。

 今日は、両国の主な忠臣蔵ゆかりの地をご紹介しておきます。

 回向院の山門です。
両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)_c0187004_9194373.jpg 赤穂浪士たちは、吉良上野介の討ち取った後は、この回向院で休息しようと考えていました。
 そのため、回向院に休息させてほしい旨を申し入れましたが、回向院の住職は、「お寺の決まりにより、暮れ六つから明け六つまでは、檀家の人以外は、入れられません。」と言って断りました。これに対して、赤穂浪士は再考を求めましたが、答えはおなじであったため、両国橋へ移動しました。

両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)_c0187004_920641.jpg 両国橋のたもとに大高源五の句碑があります。
 大高源五は「子葉」という俳号をもつ宝井其角の門人でもありました。
 「日の恩やたちまちくだく厚氷」という句は「太陽のお蔭で、厚く張った氷が、たちまち融けました」ということで、討ち入り成功についてのお礼を述べているようです。
 この句は、大高源五の師匠の榎本其角の手紙なかに書かれている句です。
 この句碑は昭和3年に建てられました。
 ここでは、なぜ、上杉家の追撃がなかったのかについて、説明もしました。

 
 吉良邸裏門跡です。
両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)_c0187004_9203136.jpg 赤穂浪士は、表門隊23人と裏門隊24人に別れ、討ち入りしました。
 裏門隊24人は、かけや(大型の木槌)で三村次郎左衛門と杉野十平次が裏門を打ち破り討入りました。
 討入り直後から、討入の際に太鼓がなったという記録がありますが、吉良邸の周囲の人が、裏門の扉を打ち破る音を太鼓の音と思ったのだろうという説もあります。

 吉良家が改易された後、屋敷の跡は町屋になったため、吉良家の名残を残すものはありませんでした。
両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)_c0187004_9212011.jpg そこで、昭和9年に地元の自治会の有志がお金を出し合い、土地を購入し、東京都に寄付しました。
 それが本所松坂町公園です。現在は墨田区に移管され墨田区立公園となっています。
 もとの吉良邸は2550坪ありました。
 しかし、この公園は約30坪しかなく、元のお屋敷の1.1%ほどの広さです。

 大石内蔵助に指揮された表門隊23人は、表門の屋根に梯子をかけて、屋根を乗り越えて屋敷に討入りました。
両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)_c0187004_9232881.jpg  屋敷の道路に面した三方向には長屋が設置されていました。
 この長屋は二階建てだったと考えられています。
 屋根までの高さは6.6メートルあったとNHKによる推測がされています。
 それだけの高さですから簡単に乗り越えられませんので、赤穂浪士が討ち入る際には、梯子を準備する必要がありました。
 赤穂浪士が準備した道具の中に梯子が含まれているのは、こうした事情があったためです。

 3時30分に講座を一旦終了し、その後は、ご希望の方だけでオプションの史跡めぐりをしましたが、18人もの方が参加していただき、「これだけでも一講座となる人数だ」との声もありました。

 堀部安兵衛の借宅は、本所林町5丁目となっています。
両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)_c0187004_9235457.jpg 現在、安兵衛宅の場所は特定できずませんが、立川第二児童遊園を目安にご案内しました。
 堀部安兵衛の借宅に同居していた赤穂浪士は、堀部安兵衛、倉橋伝助 、横川勘平、木村岡右衛門 でした。その他、脱盟した 毛利小平太、小山田庄左衛門なども同居していました。
 討入り当日の最後の集合場所となった場所です。


 杉野十平次の借宅は、本所徳右衛門町一丁目となっていて、武林唯七、勝田新左衛門も同居していました両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)_c0187004_9241247.jpg 。
 道場の場所の特定は困難ですので、元徳稲荷神社を目安にご案内しました。
 徳右衛門町の徳右衛門は名主の名前で、河村徳右衛門と言いました。
 元徳稲荷神社は、河村徳右衛門まだ三河の岡崎にいた時、河村家の氏神様として、伏見稲荷神社から勧請してお祀りしていました。河村家が江戸に出府を命ぜられ際、稲荷神社も江戸の屋敷内に移されました。
  明暦の大火後に、徳右衛門町は神田から本所に移され、稲荷神社も移りました。
 しかし、その後も参拝する人が絶えず、多くの参拝の便を考え、河村家の屋敷内から三ノ橋畔に移しました。
 三ノ橋畔に移したのを機に元徳右衛門邸内にあったお稲荷さんの意で元徳稲荷神社と改称されました。


 
 浅野家本所蔵屋敷跡は、現在、都立両国高校になっています。
両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)_c0187004_9243515.jpg  赤穂浅野家は、赤坂屋敷を3000坪を拝領していました。
 元禄10(1697)年、1000坪余を残し替地として本所屋敷3900坪を拝領しました。倉庫や畑に使用していました。
 刃傷事件後、浅野家の家財道具は一時この屋敷に運び込まれました。
 しかし、元禄15年6月には、ここも、丹羽和泉守に明け渡しとなりました

 最後は、錦糸町駅近くの居酒屋で、オフ会でした。
両国忠臣蔵散歩(大江戸ガイド)_c0187004_9245684.jpg  こちらへの参加者は7名でしたが、盛り上がりはすごく3時間を超える飲み会となりました。
 私もいつもよりは飲んだようです。
 話題は、江戸検と忠臣蔵に関する話題が中心でしたが、「獏さんのガイドの話がおもしろい」というお褒めの言葉をいただき、うれしく思いました。
 5時過ぎに飲み始めて、いつしか9時となり、お開きとなりました。
 最後に、一枚、カシャ!!
 皆さん、最後までお付き合いいただきありがとうございました。楽しい飲み会でした。
by wheatbaku | 2013-10-06 08:52 | 大江戸ガイド

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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