南町奉行所は、「大岡越前守御屋敷絵図」によると総坪数2617坪、総建坪1819坪です。
奉行所は、奉行所という役所と奉行の私邸とが一緒になっていました。つまり、現在、首相官邸と公邸が一緒になっているのに似た状態でした。
ですから、奉行は、奉行所の奥にある私邸で起居し、表にある奉行所で仕事をしました。
建物坪数は 580坪のうち、役所部分が 約380坪、住居部分が157坪、その他43坪という広さとなっていたようです。
北町奉行所も2560坪で、南町奉行所とほぼ同じ大きさです。
奉行所の表門は、南町奉行所、北町奉行所とも東側にありました。
表門は、長屋門でした。
門は、明け六つに開き、暮れ六つに閉じられました。
ただし、非番の奉行所は一日中閉じたままでした。
表門は、公式の時に奉行、他からの使者、役人、または捕物出役の折の出役役人だけが出入りしました。
門が閉められていても右の小門は閉めないでおいて、駆込訴え(直訴)ができるようにしてありました。
左の小門は、囚人・非人・付添いの役人などが出入りする不浄の門でした。
テレビ・映画などで囚人や非人・岡っ引きが表門から堂々と出入りする場面が出てくることがありますが、実際は、表門から出入りすることはありませんでした。
表門を入ると突き当たり正面は、奉行所の玄関となっていました。
表門から玄関までは、約6尺幅の敷石が敷かれていて、敷石の外側には那智黒の玉砂利が敷かれていました。
よく時代劇に出てくる白州は、左手奥にありました。絵図の上では「白州」「砂利敷」と書かれていて、その上の奉行が座る座敷は「公事場」・「裁許所」と書かれています。
役所部分の奥は、奉行の住居部分となっていました。
奥の部分への出入りは、裏門が使用されました。