まず、町奉行の裁判についてかいてみたいと思います。
江戸幕府の裁判所の吟味は、出入筋と吟味筋に分けられます。
出入り筋とは、訴えを起こす人(原告)と訴えられる人(被告)とが争うもので、出入物または公事といいました。
吟味筋とは町奉行や与力などが職権をもって被疑者を呼び出し、あるいは逮捕して吟味するもので吟味ものとも言いました。
まず吟味筋について書きます。
当時の裁判では、自白を重要視しました。いろいろな証拠によって犯罪事実が明らかになっていても、本人が自白しないと自白を強要しました。
この強要の手段として牢問や拷問が行われました。
江戸時代に拷問と呼ばれたのは釣責めだけです。
それ以外は牢問と呼ばれました。牢問には、笞打(むちうち)、石抱、海老責の三種類がありました。
これらは、現代では拷問の一種ですが、江戸時代には拷問とは言いませんでした。
相当に確実な証拠があっても、自白に基づく口書(くちがき 供述書)と爪印がなければ有罪にできないのが原則でした。
そのため、笞打、石抱、海老責などによって責めつけることは少なくはなかったようです。
しかし、拷問は町奉行が勝手に行うことができませんでした。
「公事方御定書」によれば、拷問が行われる犯罪は、人殺、火付、盗賊、関所破り、謀書・謀判、そして審理中他の犯罪が発覚しその罪が死罪に該当する場合だけで、それ以外は評定所一座の評議が必要とされていました。
町奉行所の取調べは、吟味方与力中心に行われました。
町奉行は、多忙を極めている上に訴訟も膨大の数がありました。そのため、とても山積みしている訴訟を一つ一つ奉行自身が克明に調べる暇などありません。
そこで、吟味方与力が、あらかじめ調べておき、例繰方が、擬律(犯罪事実に法律を適用すること)まで行ってから町奉行が調べました。
被疑者の口書に爪印が押されると、例繰方が過去の犯罪の類例をさがして提出します。
これらに基づいて判決が決定されます。
しかし、時代劇のように、町奉行が独断で重罪を申し付けることはできませんでした。
中追放以下は町奉行の専決(これを「手限り吟味」と言います)となり、町奉行の吟味で判断した処理をおこなえましたが、重追放以上の刑については、お伺書を持って老中または将軍の決済を受けなければなりませんでした。
従って、犯罪者の取り調べをして、即座にお白州で「首切り獄門」などということはできない仕組みになっていました。
右上の写真は、丸の内トラストシティタワーの敷地内にある北町奉行所の説明板です。