幕末から維新にかけて、町奉行与力として勤務した佐久間長敬が著した「江戸町奉行事蹟問答」は、町奉行や奉行所の様子を書いた貴重なものです。
その中で、白州における町奉行の様子が書かれています。
「平常、刑事事件席は民事裁判席と同所にて白州なり。民事裁判も同じことなり。下調吟味方主任の与力出る時は、呼出の公用人と代わり畳縁へ出て、その他は白州中仕切り際に待座す。呼出本人は、身柄により、畳縁、板縁、砂利と区別して出席し、同心警衛、別に挟み警護の役人なし。万一本人乱心(の)体とか殺害の含みありと見認(めた)者は、特別に命じて、同心をして挟み警衛を付けることあり。臨時の取計いなり。」
ここで、注目されるのは、
1、身分によって、畳の縁、板敷きの縁、砂利と座る場所が異なっていることです。
詳しく書くと次のようです。
①御目見以上は座敷
②熨斗目着用の格式以上 白州畳縁側
③熨斗目以下 白州板縁
④足軽以下 平民地所持 白州砂利 服装は羽織袴
⑤中間・小者・平民 白州砂利 ただし服装着流し
2、被告に対して、すべて被告を挟むように同心が警護することはなく、乱暴したり殺害する怖れのある場合のみの特別な対応であるということ
です。
次いで、白州における町奉行は威儀をただしたもので、時代劇の遠山金四郎のようにお白州で、啖呵をきったりすることはなかったようです。
「江戸町奉行事蹟問答」には次のように書かれています。
裁判席にて奉行の行儀は威儀を重んじ、職掌柄謹慎を専らとし行儀正しく座席敷物は勿論寒中と雖も、火鉢多葉粉(たばこ)盆なし。湯茶も喫せず暑中扇遣いもせず、初めより仕舞いまで座を立るなし」
つまり、
①敷物はなく、②湯茶ものまず、③タバコも喫わず、④寒中でも火鉢がなく、⑤暑中でも扇も使わない。
そして、最初から最後まで席をたつこともない。
という「ないないづくし」で裁判に臨んだようです。
もうこれだけでもすごいと感心します。
現代のわれわれにとっては激務なのではないでしょうか。
私なんか大変でとても耐えられないように感じます。
右上写真は、南町奉行所の跡から発掘された穴倉の説明板(右上写真)と復元された穴倉(右下写真)です。