昨日はコメントでもお祝いいただきましたし、メールでもお祝いをいただきました。
お祝いをいただいた皆様ありがとうございました。
これからもがんばりますのでどうそよろしくお願いいたします。
さて、 今日のテーマは、「町奉行」与力同心の天保期以降の分掌についてです。
今回も南和男先生の論文に基づいて書いていきます。
天保の改革により新たに設けられた分掌は次の通りです。、
北町奉行所では、
市中取締掛、
町入用減少掛、
十組跡調掛、
市中風俗取締掛であり、
南町奉行所では、
市中取締諸色調掛、
御肴青物掛、
市中沽券市中人別取調掛、
御番方取締役、
市中見世幷河岸地建物取調掛などです。
市中取締掛は、市中の風俗取締のほか、芝居取締り、新吉原など盛り場の見廻りや出版統制に関する事柄などを取り扱います。
諸色調掛のおもな職務は、物資の江戸市中潤沢と物価の引き下げでした。
人別掛は、人別令の出た翌月天保14年(1843)4月に設置されました。
その他、設置された掛では、
下馬廻りは、礼日その他大手門などの下馬所が登城者の供などで混雑する所を見廻り非法をいさめる掛です。
門前廻りとは、大老・老中・若年寄の毎月の面会日に門前が混雑するのと取締りました。
ペリー来航後は、さらにさまざまな掛が増設されました。
安政年間には、外国掛、神奈川開港掛などが設置されました。
外国掛は、外国および外国人に対する事務を担当しました。
安政4年(1657)11月に同心4名を任命したのが最初だったようです。
その後、外国掛は、増員され、万延元年(1860)11月には一方の奉行所で外国掛下役だけで54人としました。
しかし、その後、外国奉行が設置されたため、奉行所の負担は軽減され、慶応元年には、与力5人、同心5人宛となっています。
神奈川開港掛は安政5年11月に設置されました。
文久年間には海陸御備向御用取扱掛、神奈川表取締掛、鉄砲稽古世話役が設置され、さらに慶応元年には御進発御用取締掛、諸色値段引下方取扱方、硝石会所見廻り、非常町廻り、剣術世話役、柔術世話役などが設置されました。
このように幕末になると多くの担当が設置され、南先生の論文に掲載されている慶応岩塩の奉行所の分掌は41掛にもなっています。
右写真は、JR東京駅日本橋口を出た場所から写した丸の内トラストタワーです。
右側が日本橋口で、中央の高い建物が丸の内トラストタワー本館、左手が丸の内トラストタワーN館です。
北町奉行所は、丸の内トラストタワー本館辺りにありました。