与力同心の分掌の中で、裁判・警察を担当する分野では、主に裁判を担当したのが与力で、警察つまり犯人逮捕を担当したのが同心でした。
その犯人逮捕を担当したのが「三廻り」と呼ばれる同心だけで組織した分掌です。
三廻りとは、「定廻り」「臨時廻り」「隠密廻り」を言います。
三廻りの仕事は、「捕物並びに調べもの」と言われ、盗賊の逮捕と探索がねらいでした。
三廻りは、同心の中でも最高の地位でした。
最初に「定廻り」について書きます。
「定廻り」の職務は、法令違反者の摘発・逮捕、風聞の探索です。
江戸市中を同じ道順を毎日巡回したので、その名がつきました。
市中を歩きながら異変を取調べ、挙動不審の者がいれば取り押さえます。
また、町々の自身番に立ち寄って異変がないかどうか尋ねます。
「定廻り」は、働き盛りの健康な者が勤めます。だいたい45.6から50歳がらみだったようです。このように 年輩の同心が勤めたのは、江戸町内のことは複雑でよほどの熟達者でないと難しかったからだそうです。
同心は、髪も小銀杏と言う独特の結い方をして朱房の十手を後に指して歩いたので、一目見て、すぐそれと分かったようで、江戸三男に数えられていました。
次は、「臨時廻り」です。
「臨時廻り」は定町廻りの多忙を補うために設けられたと言われています。
「定町割り」のように大体定まった道順を巡察するのではなく、臨時に各方面に出かけました。
「臨時廻り」は「定町廻り」を引き上げて「臨時廻り」にするため、「定町廻り」より少し格が上であったと言われ、事実「臨時廻り」の方が権力もあり、すべて威勢もあったという回顧談があるようですが、南先生によると臨時廻りから定町廻りに異動している同心がいることから、少なくとも文政~嘉永年間は該当しないとされています。
「隠密廻り」は三廻りの筆頭とされ、江戸市中においても特別に権威あるものとみなされていました。
「隠密廻り」は、まさに名前の通り人に知られずに仕事しました。
その職務は、探索が第一の役目でした。江戸市中の風聞や風説を敏感にとらえ報告したり、町奉行の命令を受けて捜査するものでした。
それは、犯罪検挙よりも治安維持・風俗取締りが重点とされていました。
「隠密廻り」の行動範囲は、江戸市中に止まらず、江戸以外にまで出張って捜査することもありました。