大岡越前守忠相というと芝居や映画・テレビドラマの影響で名奉行という評判が先行していますが、実は、裁判例はあまりありません。
実は、裁判官よりも行政官の面の方に多くの業績を残しています。
そこで、大岡越前守忠相の業績を上げておきます。
1、防火対策
江戸は言うまでもありませんが、火事の非常に多い町でした。そこで、大岡越前守忠相は、江戸の防火対策に力をいれました。
まず、燃えない家並にするために、防火に優れた藏造り、塗り屋、瓦屋根、牡蠣殻(かきから)屋根を奨励しました。
そして、それまでは大名による所々火消や方面火消、旗本による定火消だけであった江戸の火消部隊に加えて、町人による町火消し(いろは四七組)を創設し、火消部隊を強化しました。
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2、評定所の門前に目安箱を設置し、広く江戸市民からの提案を募集しました。
3、この目安箱に、小石川伝通院前に住む小川笙船が投書して提案した養生所を小石川に設立し、小川笙船などを担当医師とし、町奉行所が運営にも関与しました。
ここまでは、多くの人がご存知だと思いますが、その他、次のような経済政策や農政面でも重要な施策も講じて大きな業績を上げていることは、あまり知られていないように思います。
特に大岡越前守忠相が力を入れたのが経済政策でした。
4、米価引き上げや物価引き下げなどの物価政策実施
享保期には、新田開発が進むなどして、市場に出回る米が増加しました。すると米価が下がってきました。 当時、武士は給料を米でもらっています。そのため、米価米価が安くなるということは、武士の給料が安くなるということになります。そこで、米価を上げようと努力したのです。
一方、米以外の物価は上がり傾向にありました。そのため、物価を引き下げるために、木綿・茶・醤油・味噌・酢・塩・酒・紙などを取り扱う問屋などに組合を結成させ、物価統制をはかろうとしました。
5、通貨の安定のため、江戸で流通する金貨と上方で流通する銀貨の相場の安定を両替商に指導しました。 これは、大岡忠相と両替商との戦いの様相を呈するほどのやりとりだったようです。
また、大岡越前守忠相は町政にかかわるだけでなく、農政にも関与して実績をあげています。
すなわち、享保7年に関東地方御用掛の兼任を命じられて武蔵野新田の開発を推進し成功しています。