赤坂不動尊は、正式には、智剣山威徳寺といい、真言宗智山派のお寺です。
赤坂不動尊は、伝教大師ゆかりのお不動様です。
延暦24年(805)伝教大師(最澄)が唐より帰国の途中、暴風雨で船が沈みそうになりました。伝教大師は御自作のお不動様を海に沈めて祈願しました。すると忽ち風雨が止んで無事帰国することができました。
それから50年程たった天安2年(858)越後出雲崎の漁師が、不漁が続いた上に、毎夜海上に不思議な光が現れるので、海を探したところ、伝教大師が沈めたお不動様があらわれました。漁師たちそれ拾い上げ、丁重にお祀りし以後村の人たちに深く信仰されました。
その後、源義義が「前九年の役」で奥州を征伐する途中、戦勝を願って祈願しました。前九年の役が終わった際、康平6年(1063)源頼義は、お不動様を下総の米沢(現在の千葉県香取郡神崎(こうざきまち)町)に迎えました。
さらに時代が下り江戸時代直前になって、お不動様から良台というお坊さんに赤坂の一ツ木に行くようにという夢のお告げがあり、慶長5年(1600)に赤坂一ツ木へ移転しました。
江戸時代には、近くに紀州徳川家の赤坂邸があったことから、紀州徳川家の祈願寺となったそうです。
祈願時というのは、天下国家の安寧鎮護を祈願するお寺です。
山門脇には、右写真のように「紀州徳川家御祈願所」という石碑が設置されています。
また、祈願所であった縁から、内陣の中には、紀州家大奥から寄進された厨子や仏具が残されています。
赤坂不動尊の案内書に紀州家から寄進された厨子や仏具が残されていると書いてあるところから、拝観できるかお願いしましたら、先代御住職自らご案内をいただき、さらに講座本番では、受講生の皆様にご説明までしていただきました。
ご本尊のお不動様は、伝教大師御自作ということから秘仏で拝観できません。紀州徳川家の大奥から寄進されたという厨司に安置されています。
そのため、厨司の前のお前立のご本尊様を拝観できます。
御前立のご本尊様は、正徳年間につくられたものだそうです。御前立のご本尊の両脇には、五大明王も安置されていて、こちらも拝観させていただきました。
御前立の御本尊の前には、紀州大奥から寄進されたという供物台が置かれたいました。
右写真がそれでですが台の部分に「紀州大奥」と刻まれています。ご本尊が安置されている御堂は、大正11年、関東大震災の直前に建立されたもので土蔵造りとなっています。
御堂が土蔵造りとなっていますので、関東大震災も被害を受けることがなかったそうでう。また、昭和20年5月の大空襲の際も、周辺がほとんど焼失した中で、奇跡的に御堂は焼失を免れたそうです。
先代御住職には、いろいろご案内・ご説明をしていただきました。改めて御礼申し上げます。
赤印が「赤坂不動尊」(威徳寺)です。