平成20年12月に書きはじめましたので、5年2か月で30万を超えたことになります。
ご愛読いただいている皆様本当にありがとうございます。 心より感謝申し上げます。
このブログを書きながら、大勢の方に読んでいただいているので、いつも間違いがないかということを気にしています。
そこで、機会があるたびに、江戸検二期会の仲間には、チェックしてほしいとお願いしています。
二期会の仲間は「獏(バク)さんの記事は間違いがほとんどない」といってくれています。それだけでなく、「史跡ガイドをする際には、獏(バク)さんの記事を参考にしている」とも言ってくれます。
また、江戸検を受験される方からも、しばしば、プリントアウトして参考にしているといった言葉をいただきます。
そんなことから、大勢の方が、このブログをお読みいただくだけなく、利用もしていただいているのかと思うこの頃です。
そうしたことから、このブログをお読みいただいている方はもちろんですがご利用していただいている皆様の役にも立つように、極力、正確・詳細・新鮮なものをしようと考えています。
大勢の方に、支えられて、30万を超えることができました。
改めてこの間のご愛読に感謝申し上げます。そして、今後も皆様にご愛顧いただけるよう頑張っていきたいと思いますので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
土曜日には、毎日文化センターの「江戸の名奉行ゆかりの地を行く」で「新橋虎ノ門散歩」を楽しんできましたので、そちらの報告もしたいと思います。
土曜日は次のコースで史跡散歩してきました。
新橋駅 ⇒ 烏森神社 ⇒ 遠山金四郎屋敷跡 ⇒ 塩釜神社 ⇒
新正堂(和菓子屋) ⇒ 浅野内匠頭終焉之地碑(田村右京太夫邸跡)⇒
松山藩松平家上屋敷跡 ⇒ 真福寺 ⇒ 日本消防会館(仙石伯耆守邸跡) ⇒
金刀比羅宮 ⇒ 江戸城外堀遺構 ⇒ 虎ノ門跡 ⇒ 虎ノ門駅
北風が多少ありましたので、少し寒さを感じましたが、快晴のなかでの散歩で楽しく案内ができました。
ご参加いただいた皆様さありがとうございました。
今回は、スナップ写真が結構とれましたので、順にご案内します。
烏森神社は、社伝によれば、藤原秀郷が、平将門の乱を無事平定できたお礼に創建したと言われている神社です。
新橋駅の「烏森口」の由来となった神社です。
「浅野内匠頭終焉之地碑」は、浅野内匠頭が切腹した田村右京太夫邸近くの日比谷通りに立っています。
浅野内匠頭は、ここで、元禄14年3月14日に切腹しました。
享年35歳でした。
写真左端が「浅野内匠頭終焉之地碑」です。
新正堂は、浅野内匠頭が切腹した田村右京太夫邸跡近くにある和菓子屋さんです。
大正元年に創業しましたので、100年を超える老舗です。
ここの名物は「切腹最中」ですが、御主人の渡辺様が、切腹最中の由来や田村右京太夫邸について楽しくお話しくださいました。渡辺様ありがとうございました。
真福寺は、真言宗智山派の東京別院です。
江戸時代は、「愛宕の薬師様」と呼ばれ、江戸っ子の信仰を集めました。
ここには、珍しい勝軍地蔵菩薩の銅像があります。
写真左手にあるのが勝軍地蔵菩薩像です。
赤穂浪士は、本懐を遂げ泉岳寺に向かう途中、吉田忠左衛門と富森助右衛門が大目付仙石伯耆守邸に自首しました。
大目付仙石伯耆守邸跡は、現在は日本消防会館となっています。
入り口脇に赤穂浪士のモニュメントがあります。
右手の群像がそれです。
虎ノ門付近には、外堀の遺構が残されています。
その中でも、よく残されたと感心するのが、外堀の隅櫓台の石垣跡です。
外堀通り沿いにありますが、あまり目立たない場所にありますが、大変貴重な遺構です。
虎ノ門は、寛永13年に、肥前佐賀藩主鍋島勝茂により築かれました。
現在は、その遺構は全く残されていません。
ただ、東京メトロ「虎ノ門」の出口近くに虎の銅像が建てられているだけです。
最後はいつも通りの「慰労会(飲み会)」です。
今回は、大雪の跡で、体調が万全でない方もいらっしゃると思われましたので、本当に飲みたい人のみで慰労会を行いましたが、それでも12名の方のご参加で、大変盛り上がりました。
飲み会にご参加いただいた皆様ありがとうございました。
そして、「新橋虎ノ門散歩」にご参加いただいた皆様ありがとうございました。