砂糖の使用量が大幅に増えたのは江戸時代からです。
その使用量の供給を支えたのは、外国からの輸入でした。
どのくらいの砂糖が輸入されていたかについて、「砂糖の文化誌」(伊藤汎監修 八坂書房出版)のなかの「近世日本の砂糖貿易」からまとめてみました。
1、この論文によると、オランダ人を長崎出島に強制移住させて、鎖国が完成した寛永18年(1641)の砂糖貿易量は次のようでした。
(1)唐船は97隻で、砂糖は、254万6427斤で、その内訳は次の通りです。
①福州方面より89隻。黒砂糖251万7千斤、白砂糖5,427斤
②広南方面より3隻。黒砂糖4千斤、白砂糖2万斤
③カンボチヤ、東京方面の唐船ともに砂糖なし
(2)オランダ船の積荷には黒砂糖3万5千斤、白砂糖4千斤でした。
(3)これによると、砂糖輸入量の合計は、258万5427斤です。
そして、黒砂糖の輸入量が多いのが特徴です。
「斤」というのは、江戸時代に使用された重量の単位です。様々な換算数値があったようですが、明治以降は、600グラムとされましたので、それに基づいて換算すると。
32万127斤は、258万5427斤×0.6キロ=155万1256キロとなります。
今、スーパーで売られている一般的な砂糖は1キロ(右写真)ですので、この袋が155万個も輸入されていたことになります。
大量の砂糖が輸入されていたことになります。
2、そして、正徳2(1712)年 寺島良安著の「和漢三才図会」には次のように記してあるそうです。
(1)砂糖輸入量の内訳は次の通りです。
①白砂糖はおよそ250万斤が諸外国より長崎に来る。
②黒砂糖 およそ7、80万斤輸入されている。
③氷砂糖の輸入はおよそ30万斤
(2)「和漢三才図会」による砂糖輸入量の合計は、約350万斤程度です。
キロに換算すると、350万斤×0.6キロ=210万キロ
砂糖の輸入量が増えているのがわかります。
そして、江戸時代前期には、黒砂糖の輸入が多かったのですが、中期になると白砂糖の方が多くなっていたようです。
3、このように多くの砂糖が輸入されていましたが、享保5年(1720)8代将軍吉宗が洋書解禁を行いました。
そして、享保10年 (1725)には長崎に来航して来た南京船主沈玉国に「黒砂糖を作る法・白砂糖を作る法」を尋ねその回答を翌11年正月に受けているそうです。
これを受け、10年8月全国に甘蔗栽培を奨励する法令を出しました。
これよりわが国では砂糖を外国よりの輸入のみに頼ることがなく、自分で生産することができるようになってきました。