「将軍お上り場」を過ぎて「新樋の口山」の脇を通って進むと「水門」が見えてきます。
「水門」は、浜離宮の中にある泉水の海水の出入りを調整しています。
浜離宮にある池は、「潮入りの池」と呼ばれています。
「潮入の池」というのは、海水を池の中に導きいれて、潮の満(み)ち干(ひ)によって池周辺の景観の趣を変えるもので、海辺の庭園で多く用いられていた様式です。
旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でした。
しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、浜離宮だけです。
水門は、潮の干潮を利用して池の水位を上下させ、 庭の趣に変化を持たせるように作られた「潮入の池」にはなくてはならないものです。
横堀沿いに進み、「海手お伝い橋」まで来ると海側に、礎石があります。
これが「海手(うみて)御茶屋跡」です。
海手御茶屋は、別名汐見の茶屋といい、宝永4年(1707)、徳川家宣が、舟遊びや漁夫達の漁の様子を見る為に建てた休憩所です。
海手御茶屋は、関東大震災で焼失してしまい、現在は礎石が残されているだけとなりました。
茶屋は、浜御殿にいくつもありました。
茶屋というと、茶室をイメージする人もいますが、浜離宮の茶屋というのは、茶室とは異なります。茶室は、茶を楽しむためのものですが、浜離宮の茶屋は、会話を楽しんだり、食事をとったりする場所で、いってみれば休憩所です。
海手御茶屋は、海沿いに設けられていて、遠くの海の風景を見られるように遠メガネいまでいう望遠鏡ですが、それも用意されていたそうです。
最も海の眺望にすぐれていたため、浜離宮を訪れた人は、必ずここを訪ねたそうです。
ちなみ、浜離宮を江戸時代に訪ねた人の平均滞在時間は約12時間だそうです。
ですから、いってみればほぼ一日中、ここで過ごしたことになります。