今回で、10回目となり、都合で100問の出題となります。
今月は、文京学院大学の「大江戸老舗物語」の準備と本業の方が忙しくて出題を見送ろうと思っていましたら、先週土曜日にお会いした受検者の皆さんから、あと10問是非出題して欲しいとのお話がありました。
大変うれしいことですので、江戸検本番が近付きましたが10問出題します。
正解は明日アップします。
1、「にんべん」の六代目高津伊兵衛は、日本初の商品切手を考案しました。
表に金額、裏ににんべんの印がつけられたもので鰹節と交換できるものでした。
それでは、この商品切手はなんでできていたでしょうか?
①金 ②銀 ③銅 ④紙
2、江戸に料理屋が出現するのは宝暦天明期と言われていて、「八百善」をはじめ多くの有名料理屋が繁盛しました。
その中で、雑司ヶ谷の鬼子母神前の名店で、幕末には彰義隊の面々が会合を開いた場所として知られている料亭は何というでしょうか
①平清 ②田川屋 ③平岩 ④茗荷屋
3、佃煮を考案したのは、もともと摂津国西成郡佃村から江戸に下ってきた漁師たちでした。
この漁師たちが佃村の名主森孫右衛門に率いられて江戸にやってきたのは慶長17年のことでした。
彼らは、拝領した江戸湾の干潟の一部を埋め立て小島を築きました。その島が佃島で、そこで考案された小魚の煮物が佃煮です。
それでは、佃島が築かれたのは、何代将軍の時代だったでしょうか?
①初代家康 ②2代秀忠 ③3代家光 ④4代家綱
5、魚市場としては、日本橋の魚河岸がもっとも有名で、幕府の御用も一手に引きうけていましたが、延宝2年(1678)に開設された市場と、その役割を分担することになりました。
新たに開設された市場は、江戸三大魚市場の一つに数えられましたが、この市場の名前はなんというでしょうか?
①芝雑魚場 ②雑喉場魚市場 ③新肴場 ④四日市
5、「最上醤油」と認められた醤油は七銘柄あり、銚子の四銘柄と野田の三銘柄でした。
その七銘柄のうち四つは、「ヒゲタ」「ヤマサ」「キッコーマン」「キハク」です。
それでは、次の四銘柄の中に「最上醤油」とは認められなかった銘柄が一つだけあります。
それはどれでしょうか?
①ヤマジュウ ②ジガミサ ③ジュウジュウ ④キノエネ
6、旧暦の11月8日には、鞴を使う職人が、火伏せと繁盛を祈り稲荷神を祭る行事である鞴祭りが行われました。
鞴祭りではあるものがまかれましたが、鞴祭りでまかれたものは何でしょうか?
①みかん ②あめ ③もち ④お金
7、天明2年に発刊された「豆腐百珍」が評判になって以来、「鯛百珍秘密箱」を始めたとしたいわゆる「百珍物」といわれる本が数多く出版されました。
その中には、食材をタイトルに用いていない書名もありました。
それでは、別名で「玉子百珍」と呼ばれる書物の正式な書名はなんといったでしょうか
①料理山海郷 ②万宝料理秘密箱 ③名飯部類 ④料理早指南
8、銚子沖でとれた魚は、夕刻に銚子を出発し、翌日の夕方から夜に日本橋に着き、翌朝のせりにだされました。利根川・江戸川の水運を主に利用しましたが、一部陸上輸送も利用し、その街道は、鮮魚(なま)街道と呼ばれました。
それでは、銚子から鮮魚を輸送する際に魚の鮮度を保つために利用された方法は、次のうちどれでしょうか?
①笹の葉で包む ②塩を振る ③氷水にいれて運ぶ ④酢でしめる
9、味噌は、「手前味噌」という言葉があるように、それぞれの家で作るのが普通でした。
そのため、味噌は、全国各地で独特の味噌が作られていました。
それでは、現在も馴染のある味噌で、江戸市民がほとんど口にしなかった味噌は次のうちどれでしょうか
①仙台味噌 ②八丁味噌 ③信州味噌 ④西京味噌
10、人の集まるところには屋台が出ました。
その場所は、寺社境内・広小路・大店のある繁華街などですが、意外な場所にも屋台が出ていました。それが下馬です。
それでは、「江戸の食文化」に上がられている下馬とは大手門前のほかどこの門前を言いましたか?
①西の丸大手門 ②内桜田門 ③外桜田門 ④和田倉門