そこで、今日からは「門松」のお話をしてみましょう。
以前の記事でも「門松」について書いています。
さすが、この時期になると、過去の「門松」の記事にもアクセスが多くなります。
そして、江戸検のお題が「江戸の祭礼と歳事」でもありますので、過去の記事をリニューアルして記載していきます。
江戸検の過去の問題に次のような問題がありました。
正月に門前に松を飾ることは、江戸の大名屋敷でも行われていました。しかし、下谷三味線堀にあった出羽国秋田藩佐竹家上屋敷では、屋敷の門前に松飾りに代えて他家では見られない珍しいことをしたため、名物になりました。それは通称、何と呼ばれていたでしょう?
い)梅飾り ろ)竹飾り は)人飾り に)鑓飾り
この問題は、中級レベル(ただし、初級に近い中級)の問題だと思います。
この問題のかいとう正解も、門松の記事を順に読んでいただければお分かりになります。
正月に門松をたてるのは、中国の「史記」に「松柏を百木之長となし門閭を守らしむ」と書かれているので中国から伝わったという説があります。
【門松は古来から】
しかし、日本では正月を年の始めとして祝う習慣は昔からあったようです。
日本には、門神宅神を祭り一年中の邪気やけがれを払う信仰があり、それがその年の幸福を祈る行事に発展したものだそうです。
門松はもともと歳神様の降臨を迎えるための依代(よりしろ)として立てられました。
昔は榊や笹を捧げ門にたてる慣習があったのが松に変わったものであるという説もあります。
門松は、奈良時代にはすでにあったとの説もあり、平安時代にはかなりひろまっていたようです。
平安時代後期の後三条天皇の時代の惟宗孝言(これむねのたかとき)の文に「近来、世俗は皆、松を以って門戸に挿し、而して、余は賢木(さかき)を以って之に代える」と書かれています。
この惟宗孝言の文からすると、門松は少なくとも1千年の歴史があることになります。
【門松は庶民の風習】
門松は、庶民の間から始まったもので、平安時代には、朝廷や公家には門松はなかったそうです。
藤原為尹(ためただ)の歌に『しずが門松」という歌があるので高貴の家や朝廷には飾られなかっただろうと江戸時代の書物に書かれています。「しず」とは漢字で「賎」と書き、身分の低い人を指します。
【竹を飾ったのは室町時代から】
竹を飾るようになったのは室町時代からです。
室町時代後期の摂政関白であった一条兼良の「世諺問答」には次のように書かれていて、松と一緒に竹が飾られようになったことがわかります。
『門の松立つることは昔よりありきたれるなるべし、(中略) その門の前に松竹立て侍り、松は千歳をちぎり、竹は万代を限る草木なれば、年のはじめの祝い事に立てはべるべし』
江戸時代になると、門松は広く庶民の家から大名の屋敷まで立てられるようになりました。
江戸時代の門松のお話は明日します。