今年の大河ドラマ「花燃ゆ」にちなんで、吉田松陰関連の史跡をめぐろうという企画です。
今回の散歩は、話題の吉田松陰ゆかりの地を歩くということから、大勢の皆様にお申込みいただきました。
お申込みいただいた皆様、ありがとうございます。
さて、 昨日の散歩ルートは、
桜田門 ⇒ 法務省旧本館 ⇒ 長州藩邸跡 ⇒ 仙台藩邸跡 ⇒ 日比谷門跡 ⇒帝国ホテル ⇒ 山下門跡 ⇒ 泰明小学校 ⇒石川啄木歌碑 ⇒ 銀座三河屋 ⇒ 金春屋敷跡 ⇒芝口御門跡 ⇒ 三十間堀跡 ⇒佐久間象山塾跡 ⇒ 狩野画塾跡
というコースでした。
ちょっと寒い中でしたが、いつものように楽しい散歩になりました。
そこで、散歩の様子をスナップ写真をいつからアップしながらご紹介したいと思います。
昨日の案内は桜田門から案内し、米沢藩邸跡を案内した後、長州藩邸跡を案内しました。
ついで、伊達藩邸跡を案内して、日比谷門をご案内しました。
日比谷門は、寛永4年に浅野家により石垣が築かれ、寛永6年に伊達政宗により櫓が構築されています。
日比谷門跡のすぐそばに日比谷公園の心字池がありますが、その心字池は、日比谷入江と言われた海の名残りだという説明もさせていただきました。
帝国ホテルは江戸時代末期には、奥州白河藩の藩邸跡に建てられました。
そのため、帝国ホテルの敷地の一画に江戸時代の切絵図の説明板が建てられています。
そこで、帝国ホテル周辺の江戸時代の様子をご案内しましたが、現在の日生劇場や東京宝塚劇場がお濠だったという説明に皆様驚いていました。
泰明小学校の説明の後、銀座並木通りにある石川啄木歌碑のご案内をしました。
歌碑には『京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな』という和歌が刻まれています”
なぜ、石川啄木の歌碑が銀座にあるかというと、ここにあった東京朝日新聞に、石川啄木が校正係として勤務していたからです。
石川啄木の歌碑は、啄木没後60周年を記念して銀座の有志により昭和48年に建てられました。
そして、銀座三河屋さんにお邪魔しました。
銀座三河屋さんは、元禄時代、三河の国より江戸に上り、酒屋や油屋を営んだ後、 江戸時代後期から平成まで、手芸品や和装小物を営業していましたが、平成15年に「江戸の食(スローフード)『銀座・三河屋』」新規開店しました。
甘口だけれど、紹興酒のようでおいしいと大変好評でした。
銀座のど真ん中を通っている中央通りは、江戸時代の東海道です。
その東海道が汐留川を渡る場所に新橋が架かっていました。
その新橋の北詰に、宝永7年(1710)、芝口御門という門が建設されました。
これは、翌年正徳元年の朝鮮通信使の来朝に備えて、わが国の威光を顕示するため、新井白石の建策にもとづいて、城門が建設されたのです。
右写真は、芝口御門の説明板を読む参加者の皆さんです。
吉田松陰は、佐久間象山塾に嘉永4年に入門しています。
その佐久間象山塾は、現在の東京メトロ東銀座駅そばにありました。
佐久間象山の経歴および吉田松陰と佐久間象山との関係について説明させていただき、さらに吉田松陰が海外渡航をめざすことになった経緯についてもお話させていただきました。
最後はいつもように飲み会です。
昨日は、天気予報とは違い、ちょっと寒い天気でしたので、早めに飲もうと思いましたが、お店が開くのが5時からでしたので、5時になるのをまって飲み始めました。
飲み始めれば、江戸の話を中心に話題はつきません。
あっというまの2時間がすぎて「御開き」ということになりました。
そこで、最後にいつもの記念撮影です。
皆様、最後までお付き合いいただきありがとうございました。