今日は次の5枚について説明します。
①谷中天王寺 富の図
②浅草寺流鏑馬
③毎月三日・十八日 東叡山・両大師詣で
④正月二十五日 増上寺 御忌法会
⑤蒲田邑看梅
谷中天王寺 富の図
挿絵の中には次のように書かれています。
湯島天満宮、目黒不動尊ならびに当寺の富は昔よりその名高し。今江府に富興業の寺院数か所ありといへども、年限を歴て沿革あるがゆえに一々記さんも無益なるべし。よつて本文に除き、一図を加へて闕けたるを補ふ。
谷中天王寺は、天保4年(1833)以前は、感応寺と言っていました。
江戸検1級公式テキスト「博覧強記」には、
享保20年、谷中感応寺が主催する富くじが公認(御免富)された。谷中感応寺と目黒不動・湯島天神が江戸の三富と呼ばれ、そのほか回向院・浅草寺・芝神明・根津権現などでも興業が行われた。
と書かれています。
富くじ興業は、目黒不動は5日、湯島天神16日、谷中感応寺18日に行われました。
挿絵を良く見ると、手前が堂内で、奥が富くじの結果を見守る人々です。
右ページの提灯に百足が描かれていますが、百足は毘沙門天のお使いです。
谷中感応寺は、寛永寺の北方に位置するところから、北方守護の毘沙門天をお祀りして、ご本尊としていました。そのため、百足が描かれています。
また、感応寺の毘沙門天は谷中七福神の1つとして江戸っ子の篤い信仰を集めていました。
浅草寺流鏑馬
二月五日 浅草寺三社権現法楽 (巳刻三問一答 衆徒6人弟子3人是を勤む) 流鏑馬あり 午刻社人本社に至り、祝詞・神楽を奏し、後 上下を着した者、片面に鬼というふ文字を書きし的を竹の先に付けたるを持て、鬼の前駆す。鬼に出立たる者、是に添ひて出る。社人騎馬にて鬼を追ひ、本堂を廻りて其年の恵方より始め、天地四方へ矢六筋を放つ。諸人此矢を拾ひて守とす。但、弓矢は真のものにあらず、假初につくりし物なり。
毎月三日・十八日 東叡山・両大師詣で
両大師の縁日は毎月3日と18日ですが、正・5・9月は特に参詣人が多かったようです。
その中でも、正月3日は初大師と言ってとりわけ多かったようです。
「東都歳事記」の正月三日の項に
元三(がんざん)大師参り、東叡山(毎月といへども、正・五・九月は別して詣人多し。後略)
と書かれています。
正月二十五日 増上寺 御忌法会 人の世やのどかなる日の寺ばやし
「東都歳事記」本文で、正月二十五日に
御法会 浄土宗開祖円光大師御忌によりて、浄家寺院昨今法会を行う
と書かれています。
円光大師というは、法然上人のことです。
蒲田邑看梅
梅見の名所としては、亀戸の梅屋敷や百花園、そして蒲田の梅園が有名でした。
「東都歳事記」には次のように書かれています。
蒲田村 大森の右の方へ入る事四五町にして野経に多し。又同村海道の内山本の園中におほし