「花燃ゆ」では、文と久坂玄瑞は、昔から知り合っていて、久坂玄瑞が思いを寄せているように描かれています。
「花燃ゆ」はドラマですので、史実通りに展開しているかどうかは、あまり問題にする必要はないと思います。
他の小説「世に棲む日日」と「花冠の志士」でも、それぞれ描き方が異なっています。
そこで、それぞれにどのように描かれているのか、今日は書いてみたいと思います。
最も有名な「世に棲む日日」では、吉田松陰に文との結婚を望まれたものの、どうも、文との結婚は、久坂玄瑞はいやだったように描かれています。 そして、先輩から忠告されて結婚をしたと書かれています。
久坂は、齢が嫩(わか)いだけに、(中略)絵にかいたような美人がすきで、もし娶るならばそういう絵のような美女を娶りたいとおもってきた。ところが数日前、松陰が久坂をよんで、いつも以上に鄭重な態度で
「久坂君のご意向をうかがいたい。あなたは、僕の義弟になってくれる気はありませんか」というのである。
(中略)
久坂は、このときほど師の松陰というひとに当惑したことがない。かれはお文という小娘をよく知っている
(あんな小娘を)
と久坂は災害に遭ったような、わが身の不幸をおもった。
そうした久坂玄瑞を口羽覚蔵という先輩がしかりつけます。
「世に棲む日日」では次のように書かれています。
口羽は、久坂がお文が美人でないためためらっているのを見て、
「はずかしいとはおもわないか」
とめずらしく怒りをうかべ、君はアレか、色をもって妻をきめるのか、といった。
久坂は憤然としてソウデハアリマセンと言い、いった以上あさっり兜をぬぎ、すぐ松陰のもとにまかり出て、妹君をいただきとうございます、畳にひたいをこすりつけて懇望した。
久坂玄瑞の生涯を描いた古川薫氏の「花冠の志士」では、久坂玄瑞に好意を抱く文の気持ちを察した吉田松陰が、久坂玄瑞に文との結婚を望んだものの、久坂玄瑞はしぶったというふうに描かれています。
「花冠の志士」では、吉田松陰は、最初、桂小五郎に白羽の矢を立てましたが、その頃は、桂が20歳、文が10歳で、年齢の差がありすぎ、桂小五郎から断ってきたとなっています。
その時に、久坂玄瑞があらわられ、松陰は「この男だと」と決めました。
そして、ある日、吉田松陰が久坂玄瑞に次のように話す場面が描かれています。
「ここで私たちと一緒に暮らそうではないか」
「それは、まぁ、願ってもないことですが、ご家族、つまり杉百合之助様や、それからご母堂や文さんもご承知下さるでしょうか」
「文は大歓迎です」
「・・・・」
「文は望んでおる」
松陰は真顔だった。
玄瑞は、声をのんだ。
要するに、松陰は妹の文を嫁にせよと玄瑞にいっているのだ。
しかし、久坂玄瑞は吉田松陰の申し出に対してよい返事はしませんでした。
そうした玄瑞に、その後、松下村塾の中谷正亮が結婚をせまります。
「文さんを嫁にもらえ」
と怒鳴った。
「松陰先生だけの意思でしょう。ご両親もおられることだし、文さんの気持ちもある」
「百合之助殿はもう納得だ。お文さんは、もう訊くまでもない」
「どうしてわかるのです」
「玄瑞の前に出ると、顔を赤くするではないか。塾生のあいだでも評判だぞ。いや悪い評判ではない。木石のごとき松陰先生も、気づいておられるそうじゃ」
(中略)
「文さんは不別嬪でしょう。嫁にするなら、美しい人を、これは前々から考えちょったことであります。これは松陰先生にはいわんでください」
「馬鹿たれ!」
一喝して、正亮が足を停めた。
(中略)
「これは甚だ玄瑞に似合わぬことを聞くものだ。美人の妻を持ちたいなど、太平の世の文弱の徒がはざくことだ。今の時勢に、大丈夫たらんとし、米夷を斬るなどと叫ぶおぬしが、妻をめとるに容色を選ぶべきであるか!」
「花冠の志士」でも、久坂はしぶったので、同門の中谷正亮に怒られて結婚を決意したとなっています。
このように、大河ドラマ、小説、それぞれを書く人によって描き方が異なります。
文と久坂玄瑞がどういう経緯で結婚したかということが正確に残された記録はないと思われますから、どういう描き方がもっとも好ましいかは、大河ドラマをご覧になっている方あるいは小説を読まれた皆さんが、選べばよいのではないでしょうか。
私は、今回の「花燃ゆ」の描き方に、悪い印象を持つことはありませんでした。