3月18日は、浅草の観音様が現れになった日です。
そのため、3月17日と18日は、江戸時代は「浅草の三社祭」でした。
「東都歳事記」には、
17日 浅草三社権現祭礼 (今明日執行。世俗、誤りて観音祭という。 後略 )
18日 同祭礼の当日なり(ただし丑・卯・巳・未・酉・亥の年隔年に行う。今日神輿3基、浅草大通りを浅草御門まで渡らしまいらせ、同所より船にうつし大川筋へ出て
、花川戸と山の宿の間より陸へ上がりて、随身門より還御あり。(中略) この日旧例として六郷・大森等の村々より猟船を出だし、彼の地の漁人来たりて神輿を供奉す。むかし宮戸川の辺に住みし猟人、後に大森等へ移るゆえに、いにしえを忘れざるの意なり(後略)
そして、下記のような挿絵が載っています。
現在の三社祭は、5月第3週の金・土・日曜日に行われることとなっていて、2015年は5月15日~17日に行われます。
江戸時代は、神輿が浅草御門まで渡御し、そこから大森の漁師たちが準備した船に乗せられて、隅田川を遡り、現在の吾妻橋のたもと辺りで、陸にあがり、戻りました。
こうしたことから、三社祭は「船祭り」とも呼ばれました。
上の「東都歳事記」の挿絵は、隅田川を神輿が渡御する様子を描いたものです。
現在は、三社祭が5月に移ったため、3月18日は、浅草寺では、「本尊示現会」だけが行われます。
今年は、この「本尊示現会」に私は行けませんが、お時間とご興味ある方は行かれるとよろしいかと思います。
ご参考に、数年前の「本尊示現会」にいった時のブログを再度掲載します。
以前のブログ
3月18日は浅草寺のご本尊「聖観世音菩薩」さまが示現した日です。
この日に、浅草寺においては 「金龍の舞」が演じられます。
ホテルニューオータニさんのがイドが4月4日に控えているので、浅草寺で「金龍の舞」を観て来ました。
【観音さま示現にちなむ舞】
「金龍の舞」は、昭和33年(1958)、本堂再建を記念して創始奉納されたものです。
浅草寺の山号「金龍山」から名をとったこの舞は、『浅草寺縁起』に、観音示現の時「寺辺に天空から「金龍」が舞い降り、一夜にして千株の松林ができた(現世利益ともなる五穀豊穣の象徴)」とあることから創作されたものだそうです。
当日は、午前11時、午後2時、午後3時と三回演じられました。
午後2時の部では、「金龍」は、伝法院で出番を待っていました。
午後1時40分に、伝法院前を出発し境内を練ります。
【貫首(かんす)の練り行列】
「金龍」に先立ち、伝法院から参道の仲見世を通り本堂まで、浅草寺の貫首(かんす)をはじめ一山住職総出による練行列が行われます。
傘の下を歩いていらっしゃるのが、浅草寺の清水谷 孝尚(しみずたに こうしょう)貫首です。
威厳のあるなかにも優しさが感じられるお姿でした。
【仲見世を練り歩く金龍】
伝法院を出て、仲見世を「金龍」が練り歩きます。
「金龍」は長さ約18メートル、重さ約88キロあるそうです。
これを8人が操るそうですので、一人あたり11キロになります。
この重さの龍を練るのは大変だと思います。
【宝蔵門を抜ける金龍】
宝蔵門の真ん中を、金龍が通っていきます。
宝蔵門には、いつもは「小舟町(こぶなちょう)」寄進の大提燈が掲げられていますが、今日は、半分ほどたたまれていて、その下を「金龍」が通り抜けていきます。
【本堂前での2匹の龍の競演】
現在、本堂(観音堂)は修復中です。
本堂にかかる囲いシートには、山本寛斎がプロデュースした大きな龍の絵が描かれています。
その前を「金龍」が練り歩きました。
2匹の龍の競演です。
【五重塔の前で金龍の舞】
境内を練り歩いた後に、五重塔の前で、「金龍の舞」が披露されます。
午後2時にちょうど始まりました。
浅草組合花組のお囃子の中、勇壮華麗な舞が行われます。
大勢の人が観ていました。
日本人だけでなく、アメリカ人、オーストリア人、中国人、韓国の人など外国の人も「金龍の舞」を観ていました。
浅草が国際的な観光地であることを実感しました。
【浅草組合花組のお姐さん方】
「金龍の舞」のお囃子をするのは浅草芸者の浅草組合花組のお姐さん方です。
「金龍」の後ろを山車に乗って移動します。
この写真は、宝蔵門を通っているところを撮りました。
「金龍の舞」の時も、この山車の上でお囃子を奏でていました。