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吉原の三大景容とは「仲の町の桜」「玉菊灯籠」そして「俄」の三つです。
「仲の町の桜」は桜の季節になると仲の町に本物の桜を移植して桜の通りにするというイベントです。
これは多くの方がご存知だと思いますので、詳しくは説明しなくてもよいでしょう。
しかし、「玉菊灯籠」は少し説明が必要なのではないでしょうか。
「玉菊灯籠」の「玉菊」とは遊女の名前です。
玉菊は、角町の中万字屋勘兵衛の抱えの諸芸に通じた才色兼備の太夫でした。
そして、特に河東節の名手でした。
この玉菊、享保11年に25歳の若さで亡くなりました。
人柄がよく多くの人に好かれたことから、お盆に灯籠を飾って霊を弔いました。
これが、玉菊燈籠の始まりです。
東都歳事記には、六月晦日と七月十五日にそれぞれ書かれています。
六月晦日 今夜より吉原仲の町両側の茶屋にて家毎に揃の灯篭を出す。(中略)
廓中灯籠の始りは、角町中万字屋の名妓玉菊といへるが3回忌の追善にとて、享保13年七月に、島の切子とうろう出しける。(後略)
七月十五日 吉原仲の町、燈籠を飾りあらたむ。但し、当月晦日に至る後の灯篭をなづけて、家々好みの灯籠を出し、一際(ひときわ)見事に飾るなり。
そして、「吉原灯籠」と題されて下図のような挿絵が載せられています。
廓の内から見た仲の町の様子です。 右ページの中ほどに見えるのが大門です。