明日は、毎日文化センターの江戸検講座があります。
今週は、その準備で追われていますが、その中で、東都歳事記も見ています。
しかし、8月は予想外に歳事が少ないですね。
そこで、少し時期はずれますが、今日は「生身魂(いきみたま)」について書いていきます。
江戸検講座の準備の中で、江戸検の参考図書の「江戸の祭礼と歳事」を読んでいますが、その夏の行事の中に「生身魂」というのがあり、その解説の中に、生魚を贈ると書いてあります。
なぜ、生魚を贈るのだろうと思って調べました。
今日は、その話です。
生身魂について東都歳事記では、7月15日の項に次のように書いてあります。
良賤生身魂の祝い(7月の盆に、亡者の霊魂来るよしを云いてまつるより移りて、現存の父母兄弟などの生身たまをいわう意なりとぞ)
お盆は、亡くなった先祖の霊を供養するものですが、生身魂は、健全な両親に食べ物などを贈ってお祝いすることです。
生身魂は、生きている親に対する一種の供養と考えられているようです。
三省堂の「年中行事事典」には
仏教がそのうちの死者の御魂供養に関与して仏事としての盆行事を成立させたのに対し、初秋の同じ時期に死者の穢れを離れ現存の親を拝して息災を祝う生身玉は、生き盆と称すべきものである
と書いてあります。
つまり死者を供養する「お盆」と相対して、生きている人に対する「お盆」といっているように思われます。
「江戸の祭礼と歳事」にも 「お盆に対応するものである」と書いてあります。
死者の供養の際には、生臭いものを供えるのを控えるようにしますね。
しかし、生身魂では、死者の供養でないことを特別に強調して、生臭物の代表である生魚を贈るということのようです。
正岡子規の句に 「生身魂七十と申し達者也」 という句があります。
今の時代に詠むとすれば、 「生身魂八十と申し達者也」 でしょうか。