今日は、本の紹介をします。
12月に「怒る富士」をブログで紹介しましたが、これを早速読んでいただいた方もいて、大変おもしろい本でしたとご感想をいただきました。
こうした声に勇気づけられて、また小説を紹介しようと思います。
江戸検を受検される方々は、今年のお題「江戸の災害と復興」の勉強を始めているかどうかわかりませんが、私は、この時期は、小説など読みやすい本を読んでおくと良いのではないかと思っています。
そうしたことから「江戸の災害と復興」に関係する小説を捜して読んでいます。
今日は、そうした小説の一つ「孤愁の岸」を読了しましたので、これを紹介しようと思います。
本文に入る前にお礼とお詫びがあります。
江戸学アカデミーで「過去問題からみる『江戸博覧強記』勉強の実践的ポイント」という講座の講師を仰せつかりましたが、この講座、お蔭様で定員を大幅に超えるお申し込みをいただきました。
事務局からは追加講座を開講して欲しいとのありがたい要請を受けましたが、日程の都合でやむなく追加講座開講をお断りさせていただきました。
お申込みいただきながら、受講できない方がいらっしゃることになりますが、お許しいただきたいと思います。
さて、「孤愁の岸」は、杉本苑子が直木賞を受賞した作品です。
杉本苑子は、吉川英治の唯一の弟子だそうです。この小説の解説で初めて知りました。
この「「孤愁の岸」は、宝暦治水工事と呼ばれる江戸時代の宝暦年間に木曽川・長良川・揖斐川のいわゆる木曽三川の治水工事を命じられた薩摩藩の激闘を描いた小説で、その中心人物は薩摩藩の工事責任者である家老平田靭負(ゆきえ)です。
私は、学生時代と社会人のスタート時期を名古屋で過ごしたことから、木曽川・長良川・揖斐川のいわゆる木曽三川は、関西方面に向かう際には、常に超える川であり、その周辺を旅行したこともあり、大変なじみのある川でした。
そして、江戸検1級に合格し江戸に関心を持つようなってから、宝暦治水工事のことを知りました。
さらに、幕末史跡を訪ねて京都へ旅行した際に伏見の薩摩寺(大黒寺)に平田靭負のお墓をあることを知りました。
その時の記事 ⇒ 薩摩寺と松林院(京都幕末史跡めぐり)
そうしたことから、「孤愁の岸」はいつか読みたいと思っていた小説です。
それをようやく読み終わることができました。
読み始めたら大変おもしろいうえに臨場感あふれる小説ですので、あっというまに読み終わりました。
非常に素晴らしい小説です。
宝暦治水工事は、名前の通り、宝暦4年から5年にかけて、木曽川・長良川・揖斐川のいわゆる木曾三川の洪水を防ぐために行われた治水工事です。
この工事は幕府主管で行われました。
江戸時代の大規模な土木工事は、大名の財力をそぐという目的もあって、幕府主管であっても、資金や人や物資を大名に出させる「お手伝い普請」の形式で行われました。
この木曾三川の治水工事も「お手伝い普請」で行われ、「お手伝い」を命じられたのが、濃尾平野からは300里も離れた日本最南端の薩摩藩でした。
幕府の命令に抗う事のできない薩摩藩はやむなく命令に応じて約1000人の藩士を派遣します。
その派遣部隊の責任者が勝手方家老であった平田靭負です。
工事費は当初15万両と言われていましたが、平田靭負は念のためと思って30万両を手配して現地に向かいました。
しかし、30万両もの資金を簡単に用意できるわけがありません。
平田靭負は大阪で自ら資金調達交渉を行い、ようやく目途をたてて現地に向かいました。
工事は2期に分かれて行われる計画でした。
春期に行われる工事は、前年までの洪水等により壊れた河岸などの修復がメインでした。
そして、秋期工事が本格的な治水工事です。
木曽川と長良川と揖斐川が河口では合流していたものを、分流させるというのが秋季工事です。
秋季工事は、流れの速い木曽川と長良川の間に堤防を築いて分流させるという難工事が含まれた本格的な治水工事です。
この工事のためには、多くの石材が必要となりますが、地元の村人の協力が得られずなかなか集まりません。
また、予定していた以上の費用が必要となることがわかってきます。
こうしたことで秋季工事の準備期間だけで38名もの藩士が切腹していきます。また、慣れない土地での過酷な労働の為、病死する人も続出します。
「孤愁の岸」では「屠腹した者50名、病死者202名」と書かれています。
こうした非常な困難の中でも、薩摩藩士は、ひたすら辛抱し工事を続行していきます。
そして、ついに工事開始の翌年宝暦5年5月にはすべて工事が完了します。
工事の出来栄えは素晴らしく、工事検分にあたった幕府役人からは賞賛の声があがりました。
工事が終わった藩士たちは、薩摩または江戸に帰っていきます。
そして、最後まで残務整理をしていた幹部たちが江戸と薩摩に帰る日がきました。
江戸に帰る人たちは5月25日に出発、薩摩に帰る人たちは翌5月26日と決まり、それぞれが準備に追われ、25日を迎えました。
その早朝、平田靭負は、現地の総指揮所であった美濃大牧の役館で、割腹して果てます。
そして、「孤愁の岸」は、平田靭負の遺骸が、船に載せられ木曾川を下るところで終わります。
平田靭負は美濃に向かう時点から、もう薩摩に帰ることはないと覚悟して故郷を出発しています。その覚悟通りの最後です。
この小説には、割腹する人たちや工事の犠牲者たち等平田靭負を取り巻く薩摩藩士たちのエピソードも織り込まれていますが、小説の冒頭が平田靭負で始まり、最後も平田靭負でおわります。ですから、平田靭負が主人公といってもよいと思います。
杉本苑子のあとがきの中に講談社の担当者が徹夜で読了したというエピソードが書かれています。私は、1日での読了は無理でしたが、4日で読了しました。
それだけ、読み甲斐のある小説でした。