宝暦治水工事ゆかりの地を行くの最後は犬山城です。
常連コメンテーターの鶴ヶ島の小ツルさんが、このブログのコメントで「犬山城に石碑があった」と書いてくれたので、犬山城まで足を延ばしました。
犬山城へは名鉄の「犬山駅」で下車して徒歩またはタクシーで行くのが一般的なのでしょうが、木曽川沿いの犬山城を見るために名鉄「犬山遊園」で下車して木曽川沿いの遊歩道を歩いていきました。
おかげで、木曽川に臨ぞむ小高い山上に築かれ「後堅固(うしろけんご)の城」と言われた犬山城の雄姿をカメラに収めることができました。
天守最上階からみる木曽川も見事です。
犬山城は、天文6年(1537)、織田信長の叔父織田信康が築いたといわれています。
その後、しばしば城主が変わり、小牧長久手の戦いの際には豊臣秀吉が入城し、小牧山城に陣を構えた家康とにらみ合ったこともありました。
江戸時代に入り、元和3年(1617)尾張徳川家の重臣成瀬正成が拝領しました。
このとき改良が加えられ、現在の天守の姿ができたといわれています。以後、成瀬家が幕末まで城主を務めることになります。
成瀬正成は、小牧長久手の戦いで初陣を果たし、家康の側近の一人となりました。
慶長15年に、家康の命により家康の九男である義直の傅役となりました。
翌慶長16年に尾張藩政を任せられていた平岩親吉がなくなり、慶長17年から、竹腰正信とともに尾張藩附家老を命じられ、尾張藩政に関わりました。
そして、元和3年(1617)に将軍徳川秀忠より成瀬正成が拝領したものです。
明治になって、一旦、県の所有となりましたが、明治28年に成瀬家に譲渡され、長いこと全国唯一の個人所有の城として大変有名でしたが、平成16年からは、「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となっているそうです。
天守最上階からの眺めは見事でしたが、さすが最古の天守だけあって、登り階段が急なのには驚きました。 そういえば、松本城や彦根城の階段も急でしたね。
「薩摩義士之碑」は、この犬山城昇り口に建てられています。
この碑は、碑文によると宝暦治水工事を行った薩摩義士たちに感激した大藪嘉一氏の遺言に基づきその兄弟が大正13年に建てたものだそうです。