江戸楽アカデミーの講義があり、その準備で忙しくてブログの更新ができなかったので、しばらくぶりの記事となります。
年号の改元理由についての記事が天皇即位を理由とした改元で中断しているので、今日は、その続きで、革命改元について書きます。
「革命改元」という言葉を初めて聞かれる人は、ぶっそうだなと感じる人もいると思いますが、「革命改元」とは、「辛酉」の年と「甲子」の年に改元することをと言います。
「革命」というと、現在では、「フランス革命」や「ロシア革命」という使い方をされ、「被支配階級が、支配階級の手から国家権力をうばい、新しい社会体制を立てることである」(国史大辞典))とされています。
「革命」という語句は「レボリューション」の訳語として使用されましたが、元々は「易経」の中にある「易姓革命」という思想から出ている言葉です。
「易姓革命」とは、天子は天命を受けて民を治めるが、天子が良い政治を行わず民心が天子から離れた時には、別の有徳者に天命を下し、変わって天子とする考えで、中国の王朝の交代を説明するため思想でした。
この考えは日本に持ち込まれました。
しかし、日本では、現実の王朝交代まで行われたことはありませんが、中国古代の「讖緯説(しんいせつ)」という考えに基づく「辛酉革命」説が取り入れられ、辛酉の年には大変革がおきるとされ、同じように甲子の年にも大変革が起きるとされました。
そのため、辛酉や甲子の年には改元を行うということになりました。
これが「革命改元」です。
辛酉および甲子の年の改元は,901年(昌泰4)の辛酉の年に、文章博士三善清行の意見により、この年を延喜と改元したのが始まりとされています。
その後、いくつかの例外はありますが,辛酉および甲子の年には改元するのが恒例となりました。
江戸時代においても、西暦1621年(元和7年)の辛酉の年には改元されませんでしたが、それ以外は「辛酉」「甲子」の年には、全て改元されています。
それでは、江戸時代の「辛酉」と「甲子」の年を列挙します。
西暦1621年 辛酉 元和 7年⇒改元せず
西暦1624年 甲子 元和10年⇒寛永
西暦1681年 辛酉 延宝 9年⇒天和
西暦1684年 甲子 天和 4年⇒貞享
西暦1741年 辛酉 元文 6年⇒寛保
西暦1744年 甲子 寛保 4年⇒延享
西暦1801年 辛酉 寛政13年⇒享和
西暦1804年 甲子 享和 4年⇒文化
西暦1861年 辛酉 万延 2年⇒文久
西暦1864年 甲子 文久 4年⇒元治
以上でおわかりになると思いますが、辛酉と甲子の年は、西暦1621年(元和7年)を除いて、全て改元が行なわれたことが確認できると思います。
さらに、辛酉革命説による改元後の年号の年数をよく調べてみると、辛酉から数えて4年目が甲子の年で甲子には必ず改元されていますので、辛酉に改元された年号(天和、寛保、享和、文久)は4年しかないということもわかります。