第1回「幕末・維新 これは覚えてね!」模試正解

1回「幕末・維新 これは覚えてね!」模試正解

今日は、月曜日に出題した第1回「幕末・維新 これは覚えてね!」模擬試験の正解を発表します。

 解説の最後に、先日紹介した参考図書『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』と『カラー版徹底図解 幕末・維新』の該当ページを付記しましたので、勉強の参考にしてください。

1、②坂下門外  

 老中安藤信正は、井伊大老が桜田門外の変で暗殺された後、幕政運営の中心となり、公武合体策を推進しました。

 そして、孝明天皇の妹和宮の降嫁を実現し、和宮は文久元年10月20日に京都を出発し11月15日に江戸に着きました。

 そして、文久2年2月に婚儀が行なわれる予定となっており、その直前に坂下門外で水戸藩浪士たちにより襲撃されました。

 安藤信正の屋敷は、西の丸下にあり、屋敷の至近距離で襲撃されました。

 桜田門外の変の教訓から、幕閣の警護が厳重になっていたため、殺害されることはなく負傷だけにとどまりましたが、幕府の権威が落ち、3か月後の4月には安藤信正自身も老中を罷免されました。

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p78

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p66

2、①奄美大島  

 西郷隆盛は、2度島流しとなっています。

 安政の大獄の猛威が荒れ狂っている時に、西郷隆盛は僧月照とともに京から薩摩に逃げてきて、錦江湾で入水自殺を図り、西郷隆盛だけが助かりました。

そして、薩摩藩は、西郷隆盛の名前を菊池源吾と変え、奄美大島に流します。これは幕府の追及から西郷隆盛を救うための処置と言われています。これが1度目です。

 そして、奄美大島で2年ほど過ごした後、許されて鹿児島に帰ってきました。

 しかし、それから間もなく、島津久光の怒りに触れて、再び島流しとなっています。

選択肢②徳之島は文久2年に2度目の流罪となった際に最初に流された島です。③沖永良部島は、西郷隆盛が2度目の流罪の時に最終的に流された島です。

④喜界島は、西郷隆盛を慕い西南戦争まで行動を一緒にした村田新八が流されていた島です。

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p64

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p49

3、③寺田屋

 島津久光は、薩摩藩主島津斉彬の異母弟です。

 斉彬が急死した後、久光の子供忠義が藩主となりましたが、久光が藩政の実権を握っていました。

 島津久光は、幕政を改革しようという斉彬の遺志を奉じて、兵を率いて上洛しました。

 この久光の上洛を機に、京都にいた急進尊王攘夷派の人々は、挙兵しようとしていました。

しかし、久光にはその考えは全くなく、薩摩藩の藩士を暴発を抑えようとして、藩内の剣客を説得に向かわせました。
 しかし、寺田屋に集合していた有馬新七らは、説得に応じなかったため、彼らを上意討ちにしました。

 これが寺田屋事件です。

 寺田屋事件と呼ばれる事件は二つあります。
 一つが、この事件です。もう一つが、慶応元年に坂本龍馬が伏見奉行所の捕吏に包囲されたもののお龍の機転で危うく難を逃れた事件です。

選択肢は、すべて、幕末に事件がおきた店です。

選択肢①近江屋は坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された醤油屋です。

②池田屋は新選組が尊攘志士たちを襲撃した旅籠です。

④天満屋は、海援隊や陸援隊と紀州藩士三浦久太郎を護衛する新選組が戦った旅籠です。

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p84  

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p72

4、①大老  

松平春嶽は、越前藩松平家16代藩主でした。越前松平家は御家門と呼ばれ、将軍家の親族でした。

 大老は、幕府の最高位の役職ですが、あくまでも将軍家の家臣が就任する役職です。

そのため、御家門の松平春嶽が就任するにはふさわしくありませんでした。そこで、政治総裁職という役職が新設されました。

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p87 

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p75

5、 ②会津藩 
松平容保は、高須藩主松平義建の七男として生まれました。

そして、会津藩主松平容敬の養子となりました。養父の松平容敬も高須藩関係者でした。

松平義建の子供たちは皆優秀で、それぞれが藩主となっています。

①尾張藩主となった徳川慶恕(よしくみ、のち慶勝に改名)は次男、③桑名藩主松平定敬は九男。④高須藩主となった松平義比は五男で、後に尾張藩主となり、最終的には一橋家当主となりました。

 この四人が「高須四兄弟」と言われます。

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p76

6、④清河八郎
 文久2年には、京都では、尊攘派のテロが頻発していました。
 当時テロは「天誅」と呼ばれ、安政の大獄で幕府の弾圧に協力した人、公武合体運動に協力した人たちが狙われました。

 このように大変乱れていた京都の治安維持を図るために京都守護職が設けられました。

 こうした情勢下で、清河八郎が、江戸の浪士を集めて、京都に送り、京都の浪士を抑えるよう献策をしました。

この献策を幕府が取り上げ、浪士組の結成さえることになりました。これに近藤勇たちが応募しました。

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p90  

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p79

7、④試衛館

近藤勇は調布の百姓宮川久次郎の三男でしたが、天然理心流の近藤周助に剣術を習い、その養子となり近藤姓を名乗りました。

 そして、近藤周助が道場主であった試衛館を継ぎ道場主となりました。 

 選択肢①玄武館は北辰一刀流の千葉周作が開いた道場で、清河八郎が玄武館で修業しました。 

②練兵館は神道無念流の斎藤弥九郎が開いた道場で桂小五郎が塾頭を勤めたことがあります。 

③士学館は桃井春蔵の道場で武市瑞山が塾頭を勤めていました。 

  

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p93110 

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p79

8、②東禅寺

開国後、外国の公使館として、江戸市中のお寺が使用されました。その最初となったのが、アメリカ公使館となった麻布善福寺です。そして、イギリスの公使館が高輪東禅寺に置かれました。

 この東禅寺が文久元年と文久2年の二度襲われました。

 文久元年は、水戸藩脱藩浪士、文久2年は松本藩士に襲われました。

 

 ①善福寺はアメリカ公使館が、③済海寺(さいかいじ)はフランス公使館が、 ④西応寺はオランダ公使館が置かれました。

 

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p70

9、③長州藩

8問の解説に書いたように、文久元年以降、外国人に対する襲撃事件が頻発しました。警備の人たちがいる公使館でさえ襲撃されたことから、従来公使館として使用されていた寺院では防備が不十分であるとして、各国公使は安全な公使館の建設を要請しました。

 それに応えて、幕府は、公使館を建設することにしました。いくつかの候補地のうちから、最終的に品川の御殿山が建設場所となりました。

 そして、イギリス公使館が、最初に完成の運びとなりました。

 その完成間近の公使館を長州藩士が襲撃し放火しました。

これによりイギリス公使館は焼失し、その他の公使館の建設も中止されました。

 襲撃した長州藩士は、松下村塾で吉田松陰の薫陶を受けた人たちが中心でしたが、その人物名は、それぞれお調べください。有名人ぞろいです。

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p70

10、①武市瑞山

 吉田東洋は、山内容堂によって抜擢され、参政として強力に藩政改革を主導しました。一時、失脚していましたが、参政として復活しました。

 これに対して、保守派と勤王党が手を結び、吉田東洋の失脚をめざしました。

 そしてついに文久2年4月に暗殺してしまいました。

これを指示したのは土佐勤王党の武市瑞山と言われています。

瑞山は号で、半平太が通称です。通称の半平太の方が有名かもしません。

なお、武市瑞山は、「市」と書きます。当初の問題文で「智」と書いてあり間違っていました。

もし記述問題として出題されていたら不正解でしたね。失礼しました。

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p105



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by wheatbaku | 2017-02-22 23:59 | Trackback
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