金戒光明寺

 今日から、京都の幕末史跡を紹介していきます。

 まず手始めは、金戒光明寺です。

c0187004_15021698.jpg 金戒光明寺は、京都の東側の黒谷(くろだに)にあります。

 京都の人には、「金戒光明寺」というより「くろだにさん」と言ったほうがわかりやすいようです。

 さて、黒谷ってとこだろうという人が多いと思いますが、平安神宮の北東部にあたります。

 京都駅から市バスで「岡崎道」で降りると金戒光明寺はまもなくです。
 右上は、山門、右下は御影堂です。

c0187004_14541090.jpg 金戒光明寺は、浄土宗の大本山で、法然上人が比叡山を下りて、初めて草庵を結んだ浄土宗最初の寺院だそうです。

 幕末ファンにとっては、京都守護職会津藩主松平容保が本陣を構えたことで有名です。


 そこで、まず京都守護職という役職について説明します。

 京都の治安は、京都所司代・京都町奉行が守ることになっていました。

 しかし、幕末に尊王攘夷運動が盛んになるに従って、尊攘派による天誅などが横行し、市内の治安が非常に悪化しました。
 そのため、所司代・奉行所のみでは治安維持が難しくなったため、新たに京都守護職という役職が定められました。

 この京都守護職に就任を要請されたのが、会津藩主の松平容保です。

 なぜ、会津藩に白羽の矢があたったかというと、それは徳川慶喜が明治になって「昔夢会筆記」の中で次のように言っているように、その武力に依存したものでした。

 「所司代では兵力が足らない。ところが浪人だの藩士だのが大勢京都に集まり、なかにも長州だとか薩州だとか、所司代の力で押えることはできかねる。そこで諸語職というものができたんだ。(中略)兵力のある者をあすこへ置こうというのが一番最初の起りだ。それで肥後守が守護職となった。」

 しかし、松平容保は、この就任要請を再三にわたって断りました。

 そこで、松平春嶽は、藩祖保科正之が定めた家訓(かきん)の第1条「徳川宗家の言うことに従わない藩主は藩主として認めなくてもよい」(*)を盾に哀願と脅しで迫りました。(「歴史読別冊『会津歴史読本』から」

*家訓第一条の原文は次の通りです。

一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。

  若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。

 松平春嶽が強硬に就任を要請した背景には、会津藩がこの困難な貧乏くじともいうべき役職をことわれば、次は京都に近い福井藩に白羽の矢が立つのではないかという恐れがあったとも『会津歴史読本』には書かれています。

 こうした強い要請により、松平容保は、守護職を拝命することになりますが、この連絡を受けて、会津にいた家老の西郷頼母・田中土佐は、急遽出府し、容保を諌めて「薪を背負って火を防ぐようなもの」と反対しましたが、容保の意思は変わらず、主従がともに「君臣唯京師の地を以て死所となすべきなり」と肩を合わせて泣き崩れたといわれています。

 京都守護職を拝命した松平容保は家臣1千名を率いて文久2年12月24日、京都三条大橋に到着、京都所司代・京都町奉行所の出迎えを受け、金戒光明寺に入る前に、本禅寺で旅装を麻上下に改め、禁裏北側の時の関白近衛忠熙卿に出向き着任の挨拶をした。このあと馬を連ね本陣と定めた黒谷の金戒光明寺に入りました。(『幕末の会津藩』星亮一著より)

c0187004_14541856.jpg 金戒光明寺が本陣に選ばれた理由として金戒光明寺のホームページには、①城構えであること ②千名の軍隊が駐屯できること ③二条城などに近いことを挙げています。

 ①城構えであることは現在の金戒光明寺を見てもわかります。

 まず表門が高麗門(右上写真)となっています。

 高麗門というは一般的にはお城の城門として利用されるものです。

c0187004_14543204.jpg この様式の門が表門として設置されていることでも、城を意識した建造物であることがわかります。

 また、山門(右写真)は、厳重な石垣の上に建立されたおり荘厳なものです。石垣も城郭を思わせるほど立派なものです。

c0187004_14542431.jpg ②千名の軍隊が駐屯できることですが、金戒光明寺は、約四万坪の大きな寺域があり、その中に大小52の宿坊があり1千名の宿舎が十分確保できる規模でした。実際に駐屯の為に大方丈及び25の宿坊が寄宿のため明け渡したという文書が金戒光明寺には残されているそうです。

 その明け渡された大方丈(右上写真)には、前回ご案内した通り、謁見の間がありました。

c0187004_14565606.jpg「謁見の間」では、近藤勇など新選組の人たちも謁見もおこなわれたそうです。

右写真は金戒光明寺のパンフレットからの転載した「謁見の間」です。これは金戒光明寺さんの許可を得たものです。

 金戒光明寺があげている理由のほかに、私はもう一つ大きな理由があると思います。

c0187004_14543524.jpg それは、金戒光明寺と徳川将軍家の特別の関係です。

 金戒光明寺には、2代将軍秀忠の正室お江、徳川忠長、春日局などのお墓があります。
 右写真はお江のお墓です。

 それだけ、徳川将軍家から篤い崇拝を受けてきた証しだと思います。

 こうした将軍家のとの関係があったことも、京都守護職の本陣が金戒光明寺に置かれた理由だと思います。




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by wheatbaku | 2017-03-08 13:58 | Trackback
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