芹沢鴨の暗殺(幕末)

今日は、新選組の2回目で、芹沢鴨の暗殺について書いてみます。

芹沢鴨は、清河八郎が江戸に戻ると言い出した時に、近藤勇とともに京に残留することを主張し、そのまま京に残りました。

芹沢鴨は、常陸国行方郡芹沢村の出身で、本名木村継次(つぐじ)とされています。

神道無念流を学び、水戸出身の新見錦(にいみにしき)、平山五郎、平間重助、野口健司とともに上洛しました。なお、芹沢鴨は水戸の天狗(てんぐ)党に属していわれていますが、それを裏つける明確な資料はないそうです。

京に残留した浪士組は、会津藩預かりとなり、「壬生浪士組」と呼ばれました。

芹沢鴨は、近藤勇、新見錦とともに壬生浪士組の局長となり、そのうちで芹沢が筆頭となりました。(なお、新見錦は当初局長だったがのちに副長となったと書いてあるものもあります」、

この芹沢鴨は大変な乱暴者で、いろいろなところでトラブルを起こしました。

文久3年6月、芹沢・近藤ら10人が大坂へ下った際に、相撲力士と喧嘩し力士側に死傷者が出ました。

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同じ6月、水口藩の公用方とトラブルを起こし、その仲直りの宴席が島原角屋で開かれて際に芹沢は大暴れをして酒樽の飲み口をたたき落とし、台所に山のように積んである瀬戸物を粉微塵した挙げ句、角屋を7日間営業停止にしたと新選組隊士永倉新八の書いた『新選組始末記』に書いてあります。


さらに、8月13日、芹沢は借金を断られた腹いせに、隊士を連れて、葭屋町一条の生糸屋大和屋庄兵衛宅に押しかけ焼き討ちしました。この時には 駆けつけた所司代の火消も手が出せなかったそうです。

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こうしたことから、「いつしか会津藩からの芹沢召し捕り命令は、暗殺命令に切り替えられた」(『新選組全史』(中村彰彦著)と言われています。


9月18日、新選組は島原の角屋で芸妓総揚げの宴会を開きました。

『新選組全史』(中村彰彦著)には、この時の費用は会津藩が負担し、会津藩が芹沢暗殺に協力して取った措置だろうと書いてあります。

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この時に宴会を開いたのが、角屋で最も広い43畳敷きの「松の間」だったそうです。


角屋「松の間」は特別公開で見てきました。
 写真も自由にとってよいとのことでたくさん撮らせてもらいました。

「松の間」」を彩っていた襖絵は『金地桐に鳳凰図』と呼ばれる幕末頃の絵師岸連山の絵でした。(右上写真)

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 右写真は、床の間の部屋です。

 芹沢鴨は、床の間の前辺りで酒を飲んでいたのではないかという説明がありました。

ちなみに近藤勇は酒は飲めず甘いものが好きでしたという補足説明がありました。



ここで酒を飲んだあと、芹沢鴨は平山五郎、平間重助と角屋を出て壬生の八木源之丞家へ戻り、八木家で再度宴会を催しました。

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(右写真は、八木家の入口です。)

その席に芹沢鴨の愛妾のお梅、平山の馴染みの桔梗屋吉栄、平間の馴染みの輪違屋糸里も一緒に酒の席に加わりました。

先日訪れた際の八木家での説明によれば、その席には、土方歳三も同席しており、土方歳三は、芹沢を酔わせるように、盛んに酒を進めたという説明がありました。

なぜ、それほどまで、酒を呑ませたかというと、芹沢鴨は、神道無念流の剣客で、酒が入っていなければ、近藤勇や土方歳三でも斬るのが難しかったためだそうです。

宴席が終るとすっかり泥酔した芹沢らは女たちと一緒に布団に入りました。

 一番奥の10畳の部屋に、芹沢はお梅と一緒に寝て、屏風を間に挟んで、平山五郎は吉栄とともに寝ました。
 平間重助と糸里は別の部屋で寝ました。

 八木家の邸内は撮影禁止ですので、八木家の間取り図は、八木家のホームページの中の「(新選組発祥の地) 壬生屯所旧跡」

 http://www.mibu-yagike.jp/04tonsho_main.html#1  をご覧ください。

 泥酔した芹沢たちを、深夜、男たちが襲いました。

襲われた芹沢は、縁側伝いに隣の部屋まで逃げ、その逃げ込んだ部屋に置かれていた文机につまずき、よろめいたところを斬られたといわれています。

逃げ込んだ部屋の鴨居には、「芹沢暗殺時の刀傷」といわれるものが現在でも残っています。

また、芹沢がつまずいた文机も、そのまま残されています。

(撮影禁止なので写真は撮れませんでした)

芹沢と同衾していたお梅も殺害されました。平山も殺害され、吉栄と、別室にいた平間と糸里は逃亡し行方知らずとなったそうです。

この芹沢暗殺を実行したのは、土方歳三や沖田総司、そしてその他の近藤グループ(本によりそのメンバーは微妙に異なります)であることは、その当時から現在まで全く疑われていないそうです。

 八木源之丞の息子八木八木為三郎の証言によると、当時13歳だった為三郎とその弟は既に眠っており、父は不在、現場を見たのは母だけだったそうです。

 そして為三郎が母から聞かされた話を65年後に子母潭寛に語っています。その殺害の様子は次のようだったと岩波新書『新選組』(松浦玲著)に書いてあります。

泥酔した芹沢が女(お梅)と共に寝込んでしまったのを見届けに来た男の姿は土方歳三に似ており、次いで斬りに来た数人のうちに沖田総司と原田佐之助かいたのは間違いなく、山南敬介もいたんじゃあないかという。逃げながら何度も斬られた芹沢の身体が眠っている兄弟の上に倒れかかったのに眼を覚まさなかったので「いくら子供でも余りひどいものだ」と母が怨じた。弟の勇之助は倒れた芹沢を斬る刀で右足を疵つけられたという。

 為三郎が眼を覚ましたときには平間重助か一人で刀を持って家の中を走り歩いていた。

芹沢の女が湯文字一枚の揉で死んでいるのと平山五郎の首が胴から離れているのは為三郎も見届けた。子供らが母と共に親戚の家へ移る直前に、急報を受けたという体で近藤や土方が現われて、いろいろ問いただす。母は怖いながらもおかしくて仕方がなかったのだが、ずっと後まで殺ったのが土方一味だということを口外しなかった。

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 実際に暗殺の現場に遭遇した人の証言は迫力があります。

 また、現場を見た後でしたので、この話がよりよく理解できました。

 芹沢暗殺は長州藩士の仕業とされ、9月20日に芹沢と平山の葬儀が盛大に執り行われました。

芹沢の墓は京都の壬生寺の壬生塚にありますが、その当時は壬生村の共同墓地に埋葬され、のちに壬生塚に改葬されたのだと光縁寺の御住職は仰っていました。




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by wheatbaku | 2017-03-24 10:50 | 『幕末』 | Trackback
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