禁門の変①(『幕末』)

 八月十八日の政変で、京都を追われた長州藩は失地回復して京都へ再進出を果たそうとします。その中で起きるのが禁門の変です。
 今日から数回にわたり禁門の変について書いていきます。

 元治元年になると、天皇を再び手中にするため、京都に進出しようという進発論が強くなりました。

 この時、強く京都進出を主張したのは、久坂玄瑞、遊撃軍総督来島又兵衛、久留米水天宮神官真木和泉らです。

c0187004_10483527.jpg

 遊撃軍は、奇兵隊につづいて結成された諸隊九隊の一つで、三田尻で三条実美らの警護にあたっていました。

 進発論の主唱者は、三条実美に従った浪士のリーダーである真木和泉で、真木和泉は「出師三策」を書いて、世子毛利定広が軍勢を率いて上京すべきであると主張しました。

 しかし、京都進出については、桂小五郎(後の木戸孝允)は反対し、周布政之助や高杉晋作は、慎重論で、長州藩内でも意見対立があり、藩論は一致しませんでした。


 

元治元年正月24日、高杉晋作は、頑強な進発論を唱える来島又兵衛の説得を命じられましたが、来島は納得しませんでした。

説得に失敗し高杉晋作は、京都に脱走してしまい、帰国すると3月29日に野山獄入りを命じられます。

5月には、高杉晋作が入獄していた野山獄に泥酔した周布政之助が馬で乗り付け抜刀して叫び声をあげて去っていくという事件もありました。


c0187004_10484019.jpg

 こうした中で、6月5日の池田屋事件で多くの尊攘派の志士が新選組に藩士を殺されたとの情報が伝わりました。

 6月12日、事件の第一報が山口に届きます。この情報を聞いて、進発論者は激高し、即時進発を声高に叫ぶ状況となりました。

慎重派の周布政之助、高杉晋作の影響力が弱まるなか、福原越後、益田右衛門介、国司信濃の三家老らに率いられた長州藩兵が次々と進発していきます。


福原越後(50)は長州藩の支藩徳山藩の藩主毛利広鎮の六男として生まれ、藩命で永代家老福原家の家督を継ぎ、国家老として、藩主毛利敬親の補佐役を務めていました。

益田右衛門介(32)は、永代家老の益田家に生まれ、安政4年に家老となりました。

国司信濃は、上級家臣団の寄組高州元忠の次男でしたが、寄組国司家を継ぎ、文久3年家老となりました。寄組の国司家は、当人の能力次第で一代家老ともなる家格で、若くして実力で家老職に就き、当時23歳の若さでした。

禁門の変後、この三人は、第一次長州征伐が実施される中で、禁門の変の責任を負い切腹することになります。

c0187004_10484569.jpg

 まず、6月15日、来島又兵衛に率いられた遊撃軍が京都に向かいました。
翌16日には、福原越後に率いられた藩兵と久坂玄瑞や真木和泉に率いられた諸隊が三田尻を出発し24日に伏見に入りました。

6月26日には、国司信濃が山口を出発し、7月6日は益田右衛門介が山口を出発しました。

京に入った長州藩は、三方から京都を包囲しました。

伏見の長州藩藩邸には福原越後が6月24日に兵を率いて入り、6月26日には潜伏していた100名以上の志士たちが嵯峨天龍寺に入り、27日には来島又兵衛の部隊が天龍寺に入り、その後7月には国司信濃も天龍寺に入りました。山崎には久坂玄瑞や真木和泉、前田右衛門介が陣を敷きました。

c0187004_10484950.jpg

長州藩が、兵を率いて上京してきている中で、伏見や山崎に陣を敷いて、さらに天龍寺まで兵を進めることがちょっと不思議に思っていましたが、こうした陣を構えられた理由を中公文庫「開国・維新」(松本健一著)が書いてくれていますので、紹介しておきます。

真木和泉が率いた部隊は「清側義軍」と称しました。福原越後は、清側義軍は、三条実美に近い尊攘激派の集団で藩主の冤罪を晴らすため過激な行動にでるかもしれないので、伏見にいて鎮撫にあたると説明しました。また、天龍寺には、八月十八日の政変後も京都に残った尊攘派の志士たちが天龍寺にたてこもっているから、これを鎮撫すると称して、来島又兵衛の遊撃隊を天竜寺に送り込みました。こうして、京都を三方から包囲する態勢が整いました。

右上の写真最上段が伏見の長州藩邸跡、二段目及び三段目写真が天龍寺と有名な曹源池です。天龍寺はユネスコの世界文化遺産に登録されています。四段目の写真が阪急大山崎の駅から見た天王山です。





[PR]
by wheatbaku | 2017-04-25 10:44 | 『幕末』 | Trackback
トラックバックURL : http://wheatbaku.exblog.jp/tb/26612300
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
by 夢見る獏(バク)
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
ブログパーツ
最新のコメント
ツユクサさん 江戸城散..
by wheatbaku at 12:53
獏様 江戸城散策、お疲..
by ツユクサ at 08:26
宮越さん コメントあり..
by wheatbaku at 11:42
今回のブログで、霊厳寺が..
by 宮越重遠 at 10:51
やぶひびさん 本妙寺は..
by wheatbaku at 13:05
「江戸から東京へ1」を図..
by やぶひび at 09:30
ツユクサさん 土曜日は..
by wheatbaku at 21:00
獏さん 案内お疲れ様で..
by ツユクサ at 11:10
小ツルさん 「むさしあ..
by wheatbaku at 09:50
バクさま、加州そうせい公..
by 鶴ヶ島の小ツル at 16:57
加州そうせい公様 私も..
by wheatbaku at 07:34
バクさん 昨日の江戸楽..
by 加州そうせい公 at 17:31
mikawaさん 先日..
by wheatbaku at 12:55
宮越さん コメントあり..
by wheatbaku at 09:03
宮越さんからコメントをい..
by wheatbaku at 09:00
mikawaです。先日は..
by mikawa ケンイチ at 08:17
ツルさん 名古屋に住ん..
by wheatbaku at 16:18
獏さま ははあ、あの石..
by 鶴ヶ島の小ツル at 15:20
やぶひびさん NHKB..
by wheatbaku at 17:54
今夜3/3.20:00~..
by やぶひび at 12:49
最新のトラックバック
穴八幡宮
from Coffee, Cigare..
風景印  28.4.30..
from としちゃんの風景印・郵趣日誌
山王日枝神社@溜池山王
from たび☆めし☆うま BLOG
浮世絵の誕生・浮世絵の歴..
from dezire_photo &..
小網神社@人形町
from たび☆めし☆うま BLOG
二つの感応寺
from Madam'Blog
江戸検講座「江戸の祭礼と..
from Madam'Blog
浅草寺本尊示現会
from Madam'Blog
江戸料理 八百善
from お気楽マダムの奮闘記
‘七福神’宝船 装飾新調..
from ローカルニュースの旅
お気に入りブログ
江戸・東京ときどきロンドン
ファン
ブログジャンル
歴史