「楠葉台場」と「高浜砲台」(鳥羽伏見の戦い⑦ 『幕末』)

「樟葉台場」と「高浜砲台」(鳥羽伏見の戦い⑦) 

 淀城への入城を拒否された旧幕府軍は、淀城下を燃やし、淀小橋と淀大橋を焼き落として、橋本方面へ撤退していきました。

橋本は男山の山頂に鎮座する石清水八幡宮の門前町で、江戸時代は、京都と大坂と結ぶ京街道における淀宿と枚方宿の間に位置する「間の宿(あいのしゅく)」でした。

 旧幕府軍は、橋本を拠点に反撃を試みました。ここでの旧幕府軍は、見廻組と遊撃隊が主力で、新政府軍との闘いは激戦となりました。

 この戦闘で、見廻組の佐々木只三郎が銃撃を受けて重傷を負いました。

 佐々木只三郎は、浪士組の清河八郎を麻布一の橋で殺害し、坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺も佐々木只三郎が指揮したといわれているほどの剣の達人ですが、鉄砲には適わなかったようです。

 

京坂本線橋本駅の南側に「樟葉台場跡」という史跡があります。

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橋本駅から徒歩15分ほどで行けますが、3月に訪れた時には、周辺は区画整理やスーパーの新築工事の真最中で、道路がわかりにくくなっていました。

しかし、たどりついた「樟葉台場跡」自体は史跡公園としてきれいに整備されていました。下写真は、史跡公園となっている樟葉砲台跡です。

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「樟葉台場」は、慶応元年(1865)、淀川左岸に江戸幕府が造営した台場です。

京都守護職松平容保の建言に基づき、外国の脅威や尊皇攘夷派の活動から京都を防衛するために築かれたと言われています。台場の設計は勝海舟が行ないました。

下写真は、樟葉台場跡の説明板ですが、写真正面に見える山が天王山です。

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大坂と京都を結ぶ京街道が台場の中を通過するようになっていて、実際は、大坂から京都に入ろうとする尊攘派の人々を防ごうという意図があったと言われています。

京都に入ろうとする敵を防ぐ目的で築造されたため、北側からの攻撃にたいする防御は弱く、鳥羽伏見の戦いにおいて「樟葉砲台」で頑強な抵抗が行なわれたという記録は、私が見た限りではありませんでした。

淀城への入城を拒否されて、やむをえず橋本まで退却して新政府軍と戦っていた旧幕府軍は、またもや、予想だにしなかった攻撃を受けることになりました。

橋本の対岸にある山崎関門に布陣していた津藩藤堂家から砲撃を受けたのです。

藤堂家は、藩祖藤堂高虎の功績により、徳川幕府が軍勢を整え出陣する際には、名誉ある先鋒を勤めることとなっていた家柄です。

つまり、将軍家が最も信頼している家柄の一つであったわけです。

それにもかかわらず、津藩藤堂家から砲撃され、旧幕府軍は一気に戦意を喪失してしまい、大阪城に撤退していき、これ以後は旧幕府軍の組織的な反撃はなくなりました。

この津藩藤堂家の裏切りは、新政府軍から藤堂家に勅使が派遣されたことによるものです。その事情は、「岩倉公実紀」に書かれています。

それによれば次の通りです。

正月5日の朝議で、公卿を一人派遣して津藩を説得させようとなりましたが、誰も行こうとしませんでした。その時に四条隆平は自分が行くと申し出たので、山崎関門に向かわせました。その夜、四条隆平は山崎関門を守る津藩藤堂家の重臣藤堂采女に面会し、新政府軍に味方しないことを責め、勅書を渡し、官軍を助けるよう諭ました。これを受けて津藩藤堂家は、正月6日より、八幡や橋本の陣営する旧幕府軍に対する砲撃を開始しました。

このように「岩倉公実記」に書かれています。

津藩藤堂家が旧幕府軍を砲撃した砲台は、「高浜砲台」です。

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「高浜砲台」は、淀川を利用して京都に入ろうとする賊を防御するために前述した「樟葉台場」とともに築造された砲台で、慶応2年(1866)に完成しました。

その高浜砲台跡は、阪急京都線「水無瀬駅」から徒歩10分程度の淀川沿いにあります。

史蹟碑は、薬師堂の前に設置されていました。(下写真参照)

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説明板には、「実際の高浜砲台は高浜砲台跡の場所でなく、淀川河川敷にあり、高さ八尺(約2.4m)、周囲100間(約180m)の規模であったされています。」と書かれていました。

下写真は、淀川堤防上から、男山を見た写真です。

写真中央部分が淀川の河川敷ですが、この辺りに高浜砲台があったものと思われます。

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なお、「樟葉台場跡」と「高浜砲台跡」は直線距離にすると大した距離ではありませんが、下記地図のように間を淀川が流れていて、近道もありませんのでご注意ください。 

私は二つの砲台跡を別々の日に訪ねました。

 下記地図の赤印が「樟葉台場跡」です。現在も多分工事中っだと思いますので、行かれる時には、事前によく調べていったほうがよいと思います。青印が「高浜砲台跡碑」です。



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by wheatbaku | 2017-05-31 18:37 | 『幕末』 | Trackback
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