第4回「幕末・維新これは覚えてね!」模擬試験
今日は、第4回「幕末・維新これは 覚えてね!」模擬試験を出題します。
今回は、元治2年(慶応元年)と慶応2年に起きた事件 についての問題を出題します。
慶応元年は大事件が少ない年でしたが、慶応2年は薩長同盟締結や第2次長州征伐という大事件が起きた年ですので、模試もこの2つの事件に関する問題が中心となります。
正解は、来週半ばに発表します。
1、高杉晋作が、功山寺挙兵で、俗論派の藩政府を打倒し、桂小五郎も潜伏先から帰藩して、長州藩は藩政改革に取り組みます。
この時、第2次長州征伐に備えて長州藩の軍制改革に取り組んだ人は次のうち誰でしょう?
元々周防の村医の子供として生まれ、咸宜園や適塾で学んだことがある人物です。
①広沢真臣 ②井上聞多 ③前原一誠 ④村田蔵六
2、下の絵は、私が牢獄から妻に送ったもので私自身を描いた自画像です。
文久3年に投獄された後、慶応元年閏5月に前藩主に切腹を命じられ、壮絶な最期を遂げました。さて、私は誰でしょう?
①岡田以蔵 ②武市瑞山 ③吉田東洋 ④吉村寅太郎
3、朝敵となった長州藩は、武器の購入が困難となりました。そこで、薩摩藩名義で武器を購入し、その武器を長州が受け取る仕組みを考えました。それを薩摩藩の西郷隆盛に提案し西郷隆盛の承諾を得た人物は次のうち誰でしょう?
①坂本龍馬 ②中岡慎太郎 ③高杉晋作 ④桂小五郎
4、坂本龍馬とともに薩長同盟の締結に尽力したのが中岡慎太郎であることは良く知らています。中岡慎太郎は、土佐の安芸郡の大庄屋の家に生まれ、文久元年土佐勤王党にくわわり、文久3年脱藩してしまいます。それでは、慶応2年の薩長同盟締結直前はどのような立場だったでしょう?
①坂本龍馬と協力して海援隊で活動していた。
②土佐藩より脱藩の罪を許され陸援隊の隊長に任命されていた。
③長州藩に行き、忠勇隊の幹部となっていた。
④筑前で、三条実美たちの護衛をしていた。
5、「表に御記被成候六条は小、西両氏および老兄、龍等も御同席にて談論せし所にて、毛も相違無之候。後来といへども決して変わり候事無之は、神明の知る所に御座候。丙寅二月五日 坂本龍」
この文書は薩摩藩と長州藩で合意した6つの条項について、坂本龍馬が間違いないと朱書きで確認した文書です。それではこの文書の中に書かれている「老兄」とはだれでしょう
①小松帯刀 ②西郷隆盛 ③桂小五郎 ④高杉晋作
6、寺田屋に投宿中、坂本龍馬は伏見奉行所の捕吏に囲まれますが、お龍の通報をうけ、ピストルで応戦した後、難を逃れたと言われています。
それでは、そのピストルはどのように入手したのでしょうか?
①高杉晋作からもらった。
②グラバーから購入した。
③中岡慎太郎から借りていた。
④西郷隆盛から譲りうけた。
7、坂本龍馬は寺田屋で伏見奉行所の捕吏に襲撃されて怪我をしますが、その治療を兼ねて、お龍と一緒に旅行しました。これが日本初の新婚旅行と言われています。この時に、二人が行った温泉は次のうちどこでしょう?
①別府温泉 ②有馬温泉 ③指宿温泉 ④塩浸温泉
8、第2次長州征伐は、長州側では四境戦争と呼んでいました。
主に四方面の長州藩境で幕府軍との戦いが行われたため、そう呼ばれました。
四境の一つは、小倉口と呼ばれる関門海峡方面です。
それでは四境に入らない方面は次のうちどれでしょう?
①芸州口 ②萩口、 ③大島口 ④石州口
9、第2次長州征伐では、長州藩は、近代兵器を駆使して、幕府軍に対して攻勢をかけ、長州藩外に攻め込みました。その結果、浜田藩は、浜田城に火をかけ、城を撤退しました。浜田城のほかに、第2次長州征伐の際に焼失した城がありますが、次のうちどれでしょう?
①広島城 ②岩国城 ③津和野城 ④小倉城
10、第2次長州征伐の休戦協定は、厳島の大願寺で締結されました。その交渉の際の幕府側代表は誰でしょうか?
①板倉勝清 ②小笠原長行 ③勝海舟 ④小栗忠順
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