第4回「幕末・維新これは覚えてね!」模試正解

第4回「幕末・維新これは覚えてね!」模試正解

 今日は、先日出題した第4回「幕末・維新これは覚えてね!」模擬試験の正解を発表します。

 これまでは、江戸検のお題のテキストが出版されていませんでしたので、テキストによらず、出題してきましたが、テキストが10日発売されるとのことですので、テキスト等も参考に、内容を確認してください。

 なお、参照図書で『江戸時代年表』と表記してあるものは『見る、読む、調べる江戸時代年表』(山本博文編)のことです。

1  ④村田蔵六

村田蔵六は、周防国鋳銭司(すぜんじ)村医村田孝益の長男として生まれ、広瀬淡窓の咸宜園や緒方洪庵の適塾で学びました。適塾では嘉永2年に塾頭を勤めています。嘉永6年に宇和島藩に招かれた後、幕府の蕃書調所教授方手伝、講武所教授を経て、万延元年長州藩に仕えました。慶応元年に藩内の俗論派が一掃されると軍政用掛となり、軍制改革に取り組みました。

慶応元年12月、藩主毛利敬親の命により村田蔵六から大村益次郎と改名しています。

慶応2年の第2次長州征伐では、石州口参謀として目覚ましい成果を挙げました。

司馬遼太郎の「花神」の主人公であり、大河ドラマにも取り上げられました。

参照:「開国と攘夷」P394、『江戸時代年表』P193、「江戸時代人名控」


2、 ②武市瑞山  

武市瑞山は通称半平太と呼ばれ、土佐勤皇党の首領でした。文久2年には吉田東洋を暗殺させ、藩論を尊王攘夷に変えた後、藩主山内豊範とともに上京し、さらに勅使姉小路公知に従って江戸に下向しました。しかし、八月十八日の政変で京都で尊王攘夷派が力を失うと、前藩主山内容堂の命令により、帰国を命じられ、帰国するとともに投獄されました。投獄されたものの拷問に屈せず1年半の間戦い続けましたが、ついに慶応元年に切腹を命じられました。切腹の際には三文字に腹を斬ったと言われています。

 参照:『江戸時代年表』P247

3、 ①坂本龍馬  

薩長同盟の仲介を担ったのが坂本龍馬であることはよく知られてことですので、正解はそれほど難しくはなかったと思います。しかし、坂本龍馬が薩摩藩名義で武器購入を購入する案を考えたとする説が流布されていることから、問題文に長州藩が「薩摩藩名義で武器を購入し、その武器を長州が受け取る仕組みを考えました」となっているため、ちょっと迷った方もあると思います。

 武器購入の仕組みを長州側が考えたという説は人物叢書「高杉晋作」(梅溪昇著)P263に書いてありますし、中公文庫「『開国・維新』P272にも書かれています。さらに中公新書『坂本龍馬』(池田敬正著)P119にも書かれていますので、それを参考に問題文を作成しました。

 なお『江戸時代年表』P246に、正解が書かれています。

 なお、問題文では、「薩長同盟」という語句を使用していますが、ちくま新書『幕末史』で佐々木克先生は、薩長同盟という語句について、P208に次のように書いていますのでご参考に付記しておきます。ご参照ください。

この薩摩と長州の約束を、諸書では薩長同盟または薩長盟約と呼ぶのが一般的である。以前は同盟がおおく用いられたが、倒幕をめざした軍事同盟を連想することから、近年は盟約のほうが用いられるようになった。薩長同盟、盟約ともに当時の史料にでる言葉ではなく、後にネーミングされたものである。従って同盟より盟約のほうがよいと思い拙著では盟約を用いてきた。しかし、木戸と龍馬が誓約といっていることを尊重して、本書(『幕末史』)からは誓約を用いることにしたい。

 私は「薩長同盟」という語句に慣れていますが、確かに「薩長盟約」と書いた本もかなりあります。江戸検のお題のテキストを見て、今後「薩長同盟」にするか「薩長盟約」にするか判断しようと思っています。

4、 ④筑前で、三条実美たちの護衛をしていた。 

この問題は、中岡慎太郎が三条実美たち五卿の身近で活動していたことを知ってほしいと思い出題しました。

 薩長同盟が結ばれたのは慶応2年正月21日です。中公新書『中岡慎太郎』(宮地佐一郎著)P172によれば、中岡慎太郎は、慶応元年1122日、五卿の応接係となり大宰府来訪者の応接の役目につかされ、1225日、下関に出て、京都の西郷隆盛と薩長同盟を締結するために出発する桂小五郎を見送りました。この際に中岡慎太郎は桂小五郎たちを先導案内すべきでしたが、五卿応接係の公務があり、京都に向かうことができなかったようです。

選択肢①「坂本龍馬と協力して海援隊で活動していた」、坂本龍馬と緊密な連絡をとっていましたが、海援隊で一緒に活動していませんので、間違いです。

選択肢②「脱藩の罪を許され,土佐藩より陸援隊の隊長に任命されていた」のは慶応3年のことです。

選択肢③「長州藩に行き、忠勇隊の幹部となっていた」のは禁門の変の前後のことです。

 参照:『江戸時代人名控』P249

5、 ③桂小五郎 

薩長同盟の締結にあたって、坂本龍馬が重要な役割を果たしたということは、よく知られていることですし、また、江戸検では、トップクラスの重要事項です。

 そこで、薩長同盟締結の経緯、条項などはよく勉強しておいてください。

 この問題は、いわゆる坂本龍馬の裏書を問題としています。

 薩長同盟締結の当事者は、薩摩側が小松帯刀、西郷隆盛、長州側が桂小五郎です。薩長同盟は、同盟と言いながら、各条項が文書で決められたわけではありません。口約束でした。そこで桂小五郎が、仲介を果たした坂本龍馬に内容確認を求めた手紙に対して、朱書きで確認した内容が問題文です。

 こうした経緯が分っていれば、裏書の内容を初めて読んだとしても簡単な問題です。

 下記裏書中の「小」は小松帯刀、「西」は西郷隆盛、「龍」はいうまでもなく坂本龍馬です。もうおわかりだと思いますが、「老兄」とは桂小五郎です。 

「表に御記被成候六条は西両氏および老兄等も御同席にて談論せし所にて、毛も相違無之候。後来といへども決して変わり候事無之は、神明の知る所に御座候。丙寅二月五日 坂本龍」

6、 ①高杉晋作からもらった。

坂本龍馬が寺田屋で伏見奉行所の捕り方に応戦した際のピストルは、高杉晋作からもらったものです。高杉晋作は文久元年に幕府の千歳丸に乗って上海に渡航しています。ここで2丁のピストルを購入しています。そのうちの一つを坂本龍馬に贈ったのです。参照:中公新書『坂本龍馬』P132

高杉晋作がいつ坂本龍馬にピストルを贈ったのかについては、いろいろな本を読みましたが、研究書の類には、いつかということを書いたものはありませんでした。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では、坂本龍馬が高杉晋作と初めて会ったとき(慶応元年)に、高杉晋作が贈ったと描かれています。

坂本龍馬が寺田屋で襲撃された時の様子は以前書いた次のブログをご覧ください。⇒ 寺田屋騒動~龍馬寺田屋で襲撃される


下記写真は、伏見の寺田屋に展示されていた龍馬が持っていたピストルの模型です。

c0187004_11310049.jpg

7、 ④塩浸温泉  

寺田屋で捕吏から逃れた坂本龍馬は、伏見の薩摩藩邸に匿われます。負傷していた坂本龍馬は小松帯刀と西郷隆盛から薩摩に身を隠し、怪我の治療も行うように勧められ薩摩に向かいました、薩摩では温泉につかり霧島山に登ってのんびりと過ごしました。この時の逗留した温泉は霧島温泉と思われがちですが、最も長く逗留したのは「塩浸(しおひたし)温泉」でした。

 選択肢を「霧島温泉」にしようと思いましたが、『江戸時代年表』249には、正確に「塩浸温泉」と書いてありますので、「塩浸温泉」を選択肢としました。

 この時、龍馬が姉の乙女に送った霧島登山の絵入り手紙は大変有名です。

8、 ②萩口

 この問題は多くの人が正解がわかったのではないかと思います。

 芸州口、大島口、石州口、小倉口の四方面から幕府軍が攻め寄せてきました。

 芸州口は広島方面、大島口は瀬戸内海の大島付近、石州口は石見国との境付近、小倉口は関門海峡方面を指します。

当初、幕府は、萩方面からの攻撃も検討したようですが、萩方面担当が予定されていた薩摩藩が出兵拒否したため、萩口からの攻撃は実施されませんでした。

 第2次長州征伐は、慶応2年6月7日に、幕府軍艦が大島を攻撃したことにより始まります。大島を攻撃した幕府軍は、そのまま大島を占領しますが、これに対して6月12日高杉晋作が丙寅丸に乗って夜間幕府海軍に奇襲攻撃を仕掛け幕府海軍を敗走させ、翌日、第2奇兵隊などの長州側は大島を奪還しました。

 参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』(西東社刊)

9④小倉城

第2次長州征伐では、軍制改革に成功した長州藩が、幕府軍を圧倒していきます。芸州口こそ一進一退の攻防が続いたものの、それ以外の石州口、大島口、小倉口では、幕府軍が敗退していきました。

 大村益次郎(村田蔵六)に指導された石州口では、長州藩は益田を攻め落とし、さらに浜田を攻撃しました。浜田藩は自ら城を焼き退去しました。

 大島口では、長州藩は初戦敗退したもので、すぐに第2奇兵隊等が上陸し幕府軍を撤退させています。

 小倉口では、高杉晋作に指導され、奇兵隊を中心とした長州軍が3度の渡海攻撃を仕掛けて、小倉藩を圧倒していきます。

7月30日には肥後藩をはじめとした九州諸藩の軍勢は自分の藩に引き上げてしまいます。そこで、8月1日に、小倉藩自ら小倉城に火をつけて撤退をしました。

10、 ③勝海舟 

 この問題は簡単だったと思います。まさに基礎的知識です。

 勝海舟は、元治元年に軍艦奉行を罷免されていました。それが、慶応2年5月、急遽、呼び出されて軍艦奉行に復職し、ただちに大坂行を命じられました。

さらに、8月には休戦交渉のため広島行を命じられ、9月2日、当時長州藩の勢力範囲下であった厳島の大願寺で、長州の広沢真臣や井上馨等の長州代表団と交渉し、休戦しました。

 その時の様子は、中公文庫『氷川清話』P5459に書かれています、

 参照:『江戸時代年表』P248


 


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by wheatbaku | 2017-06-08 10:44 | 『幕末』 | Trackback
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