小千谷会談(北越戦争レポート⑦)

小千谷会談(北越戦争レポート⑦)

今日から、いよいよ北越戦争について書いていきます。

 河井継之助(つぎのすけ)は、軍制改革を行い軍備の充実を図ってきました。しかし、これは新政府軍と戦うためではなく、中立を維持するためだったと言われています。

 しかし、5月2日に行われた河井継之助(つぎのすけ)と岩村精一郎との会談(これが小千谷会談と呼ばれています)が決裂したことにより、長岡藩は、新政府軍に抗戦せざるをえないこととなります。

 今日は、この有名な小千谷会談について書いていきます。

 下写真は、河井継之助(つぎのすけ)と岩村精一郎の会談が行われた小千谷慈眼寺の会見の間です。

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 新政府軍では、北陸道鎮撫総督兼鎮撫使に任じられた高倉永砧が、閏4月25日、薩長に加賀・富山・長府の諸藩兵を加えて海路を越後高田に向かい、5月8日に高田に到着しました。総督軍には、薩摩の黒田清隆と長州の山県有朋が参謀として参加していました。

また、北関東から越後に入った旧幕府軍の衝鉾隊を追撃してきた土佐藩の岩村精一郎が率いる尾張・信濃の兵も、越後高田周辺に集合しました。

 

慶応4年3月15日、北陸道鎮撫総督は、越後11藩の重臣を高田に集合させました。

その際に長岡藩に対して会津攻めに出兵するか3万両の軍用金を献納するよう求めました。

長岡藩の藩論は新政府への恭順か抗戦かで二分されました。

しかし、長岡藩はいまだ新政府側、列藩同盟側のいずれにつくのか、態度を明らかにしませんでした。

河井継之助(つぎのすけ)は自分の立場は明らかにしないで、一方では恭順派の重臣を退け、一方で主戦派の暴発を抑えていました。
 下写真は、慈眼寺の会見の間に掲げられていた河井継之助(つぎのすけ)の肖像画です。

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閏4月19日、高田に集結した新政府軍は、柏崎から新潟をめざして海岸線を進む海道軍と十日町から小千谷をめざす山道軍に分れ進攻を開始しました。この山道軍を率いていた軍監が土佐藩士の岩村精一郎でした。

閏4月26日に河井継之助(つぎのすけ)が軍事総督に任命されました、

閏4月27日、山道軍は、当時、会津藩の飛び地であった小千谷を占領しました。

 慶応4年5月2日の早朝、河井継之助(つぎのすけ)は、軍目付の二見虎三郎と従僕2人を従え、小千谷にある北陸道鎮撫総督の本営に向かいました。

 この時、越後に駐留していた会津藩は、長岡藩が新政府へ恭順することを恐れ、会談の妨害を図って新政府軍を攻撃しました。

この時、長岡藩も一緒に攻撃していると見せるため長岡藩旗を戦場に持ちこみ、長岡藩が作戦に参加しているかのように見せかけたともいわれています。

戦いが間近に迫る殺伐とした状況の中で、小千谷に到着した継之助は、本営近くの慈眼寺に案内されました。

下写真が、慈眼寺の本堂です。

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現在も小千谷の慈眼寺の本堂には、会見の間が残されています。それが冒頭の写真です。しかし、ここは中越地震で壊滅的な被害を受けました。それが多くの善意により復興されたそうです。その感謝をこめて、本堂の会見の間は拝観料をとらずに公開しているそうです。

会談場所の本堂の会見の間には、継之助ひとりが通されました。

 新政府側で会談に臨んだのは、土佐藩の軍監岩村精一郎です。

 下写真は、会見の間に掲げられていた岩村精一郎の写真です。

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この岩村精一郎に同席したのが薩摩藩の淵辺直右衛門、さらに長州藩の杉山荘一郎と白井小助です。

  まず継之助は、出兵・献金の求めに従わなかったことを謝罪し、藩論が割れていることや会津・桑名・米沢など列藩同盟の諸藩が長岡城下にきてに新政府へ抵抗すべきであると迫っていて戦争になる恐れがある。しかししばらく猶予をもらえれば、会津等の諸藩を説得できる。だから進軍は見合わせて欲しい」と訴えました。

そして、藩主名の嘆願書を提示し、大総督府への取り次ぎを懇願しました。

 しかし、岩村精一郎はまったく取り合おうとしませんでした。

河井継之助は、繰り返し嘆願をしましたが、岩村精一郎は、河井継之助(つぎのすけ)の申し出を拒否し、わずか30分ほどで席を蹴ってしまいました。

小千谷会談の時、河井継之助(つぎのすけ)は42歳でした。それに対して軍監岩村精一郎は、親子ほども年齢の離れた、血気にはやる24歳の青年でした。
 経験の浅い岩村精一郎の対応がよくなかったといわれています。

 のちに岩村精一郎は、河井継之助(つぎのすけ)を「よくいる門閥出身の馬鹿家老の一人が戦争停止を嘆願するために来たと思いこんで、ほとんど頭ごなしに河井継之助(つぎのすけ)の要望をとりあわなかった」と回想しています。

 また、品川弥二郎は「会談に岩村のような小僧を出さずに、北越政府軍参謀であった黒田清隆か山県有朋を河井と合せたら戦争をせずに済んだかもしれぬ」と言っています。

 新政府軍側でも、悔いののこる会談結果だったのでしょう。



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by wheatbaku | 2017-07-09 11:46 | 『幕末』 | Trackback
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